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Chinto物語 その7 [Chinto物語]

■ヒヤチント物語 (NO.7)
大学生活は,マリアの家を中心に、大学の研究室で、実験のお手伝い。当時、小麦の4倍体まではすでに出来ていて、木原研究室では、6倍体の品種を作ろうと顕微鏡で染色体を覗く毎日。これが実験遺伝学教室の生活の有様で、その中の一つのテーマを与えられて、卒業までの3年間で仕上げるというわけで、小麦の遺伝学だから時期的に一年に一度しか実験が出来ないので、失敗すると卒業が一年延びるので必死です。どうにか失敗もせずテーマをまとめあげ3年で、昭和29年に無事卒業することができました。次は就職のことです。ビールの原料は麦ですよね。京都の近くに大阪の吹田市があり、そこにアサヒビールの工場があり、先生の口利きでアサヒビールに就職が決まった途端に南山大学から話がきたのです。南山は文科系の大学ですが、『現在、理科系の学部を新設するため、文部省に申請中だから是非来て欲しい。』という話でした。当時は、私も熱心なカトリック信者の端くれだったので、困って木原先生と相談して、南山大学に行くことに決めたのです。当時の学長はパッへ神父さまでした。今でもそのときのことは鮮明に覚えておりますが、パッへ神父様が、本当に申し訳ないというお顔をして「実は、申請中だった理科系の学部が文部省からNOの返事が来ました。申し訳ないが、高校の方だったら何とかなりますが如何でしょうか?」ということでした。私としては、もうアサヒビールも断ったことですし、結局、南山高校に就職することになった次第でございます。昭和29年3月サワミ様ご臨席のもと京都大学の卒業式を終え、名古屋に向かったというわけです。従って、次回からは、サワミ様のお話と後はご存知名古屋の話となるのでしょうね。


■姉・敦子のコメント
ヒヤシンス物語、南山までこぎつけましたネ!アサヒビールに行っていたら、お父さんの人生どうなっていたのでしょう?なんだか不思議な気がします。テレビで見た元アサヒビールの重役さんと一緒に仕事してたんでしょうね。それとも、お父さんが行ってたら、その人行ってなかったりして・・・?!人生には、重要な分かれ道がいくつかあるみたいですね!
でも、今になって思えば、アサヒビールでもお母さんと結婚してただろうし、住む場所とか、出会う人たちは違ったかもしれないけど、お父さんの人生の充実度は変わらないのかもしれませんネ。


■★まっと★のコメント
姉が言う通りなのかもしれません。人生は本当にわからないものです。まぁ、父が血を見て卒倒するくせに東京大学の医学部を目指したというのはいまだに不可解ではありますが・・・・。アサヒビールに勤めていたとしても結局は姉も私もこの世に存在したのでしょうね。そんな気がします。
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コメント 6

KOZOU

ほんとに人生には大きな岐路が何度かありますね。
不思議なものですね。
でも結果オーライ(*^_^*)
今の充実した生活を送られているのでしょうからね。
by KOZOU (2009-03-29 14:27) 

★まっと★

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
不思議なものです。
全くその通り、結果オーライ・・・
これからもまだまだ岐路は訪れるのでしょう。
どれが正しい道なのかわからなくとも、
出来る限り正しい方向に進んで生きたいです。
by ★まっと★ (2009-03-29 18:49) 

KOZOU

ほんとですね。
慎重に考えながらも賭けも必要なときもあるかもですね。
すべてわが人生(*^_^*)
by KOZOU (2009-03-30 09:39) 

★まっと★

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
確かに決断のとき。。。
人生には何度もそういう場面があるのですね。
by ★まっと★ (2009-03-30 18:49) 

gyaro

if。。。それを考えると、人生ってほんとに
不思議だけど、素敵なものだなぁと思えてきます♪

by gyaro (2009-04-02 14:08) 

★まっと★

gyaroさん(●⌒∇⌒●)
(^コ^)(^ン^)(^ニ^)(^チ^)(^ワ^)
そうですね。もしも・・・でも、それが人生なんですよね。面白いです。そして楽しいです。そして、やはり不思議ですね。
by ★まっと★ (2009-04-02 16:54) 

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