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エッセイ『聖マリア幼稚園』(幼少期) [『ぶん★文★ぶん』]

幼稚園時代の★まっと★はとても優秀だったんですよ。名古屋でもっとも高級??(学費が高いだけ・・)な幼稚園・・聖マリア幼稚園通っていました。ここの幼稚園はカトリック系の幼稚園で先生たちはシスターばかり。まるでサウンド・オブ・ミュージックに出てくるようなシスターの集団。しかも外国人がほとんどでスペイン語が飛び交っていました。朝の挨拶からすべてスペイン語でした。★まっと★は両親が信者でしたし、幼児洗礼をこの幼稚園のチャペルで受けているんです。だから、とてもかわいがられました。それは喜ばしいことでもありますが、当時、まだ幼児だった★まっと★にとっては苦痛の日々でもありました。
なんだか長い文章を覚えさせられたり、お遊戯でも一番目立つところで踊らされたりしました。当時の★まっと★はとても明るい子供で目立つことも嫌いではなかったので、それなりに楽しかったんですが、人間、誰にでも得手不得手があります。★まっと★が苦手だったことは、七五三(カトリック系なのにこういう日本的な行事もありましたね・・・)や卒園式で長い文章を暗誦させられることでした。

     

ある日、幼稚園から一枚の紙を渡され、それを母に見せたら大変!!園から帰宅すると母に部屋の真ん中に立たされ、フレーズごとに母に言われたことを繰り返し繰り返し練習。覚えるまで練習。泣きながら練習。地獄のような日々でした。でも、不思議なものでちゃんと覚えたんですよね。かなり長かったと記憶しています。

そのころは幼稚園でも『マチア』(ラテン語名)と呼ばれていました。Matthiasという洗礼名がありますからね。もちろん、ハンドルネーム★まっと★の由来でもあるわけです。何かにつけて代表に選ばれ、いつもお行儀よくしていなくてはならなかった★まっと★・・・・それでも楽しかったです。    

園には入学試験がありました。1960年前後のことですから・・そのころから『お受験状態』だった★まっと★はよかったんだか悪かったんだか・・・。決して経済的に豊かな家庭ではなかったのですが、やはりカトリックというだけで父はこちらの幼稚園に入れたかったのでしょうね。
通園はスクールバスを持たない幼稚園で、ほとんどの園児はタクシー通園でした。★まっと★ももちろんタクシー通園。今はもうありませんが、名古屋に『かもめタクシー』というタクシー会社があって、幼稚園が終わる時間になると園の前にたくさんのピンク色のタクシーが並ぶんです。そして、当時、星が丘に住んでいた★まっと★は一台ずつ運転手さんに『星が丘行き??』って聞きながら自分が乗るタクシーを捜すのです。それで、園児5~6人が乗り合いで帰ることになります。しかし、時々乗り遅れちゃうんですよ。そうすると泣きながらタクシー会社まで行くんです。園から幼児の足では15分くらいはかかるでしょう。
そこで、『星が丘行きのタクシーがいなかったぁ~~~。わぁ~~ん!!』と、もう一度大声で泣くんです。そうするとほかの運転手さんが家まで連れて行ってくれました。乗り遅れ事件は一度や二度ではなかったように記憶しています。
現在ではかなり形相が変わっています。まだ、スクールバスはないようですが、園が終わる時間になると、高級車が園の前に数珠繋ぎになって止まっています。ベンツ、BMW、ジャガー国産高級車などが並んでいるんですよ。われながらすごい幼稚園に通っていたもんだと感心してしまいます。 

在園中に制服が変わりました。濃紺のスーツだった★まっと★の制服は★まっと★が年長さんの時に千鳥格子に変わったんですよ。★まっと★の下の学年からは千鳥格子でしたが、★まっと★の学年は混在でした。在園中に制服があわなくなった園児たちは新しく制服を買いなおすわけですがそのときはもちろん千鳥格子。裕福な家庭の園児たちは新しい制服を身にまとって新学期を向かえてました。★まっと★も千鳥格子が着たかった。でも、買ってもらえませんでした。濃紺の制服で卒園式を迎えました。

幼稚園時代はかなり優秀で、優秀である自分がとても好きでした。だから、とても楽しかった印象のほうが残っています。ただ、暗誦だけはやっぱり苦手でした。
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