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Chinto物語 その29 [Chinto物語]

■ヒヤチント物語 (NO.29)
南山に、帰国子女の教育を行う、国際部が出来た事は、本当に良かったと思います。私の考えでは、南山には、男子部、女子部というしっかりとした母体があるから国際部が成り立つと思うのです。ところが、最近、南山中・高の国際部が、国際中・高等学校として独立したと聞きました。何を考えているのでしょうかね?何故、国際部では駄目なのでしょうか。 女子部さえも南山女子高等学校として独立せず、女子部のままずっときて,今は世間から男子部以上に評価されているのは、しっかりした母体があったからですよね。そのことをないがしろにして、国際部を独立させるなんて,とんでもない話だと怒りを感じます。
誰の仕業かはしりませんが、思い上がりも甚だしい。前途、多難 間違いなし。私が、国際部を担当していた頃は、須田さん、伊藤さん、浅野さんと言う相談できる相棒がいましたが、生みの苦しみも知らず、ただその上に乗っかっていてはお先が懸念されます。静観しましょう。私の南山での最後のお仕事は、女子部でした。明日はその頃のお話になりそうです。


■★まっと★のコメント
父・徹の南山への思いがひしひしと感じられます。独立した学校として評価されるためには歴史やそれまでの積み重ねが基礎になってくるわけですよね。それがないがしろにされ、自尊心が大きくなるのもまた、人間の性とでも言いましょうか。学校が大きくなると、つい大切なことを忘れてしまうのですね。実際に父・徹は2回の定年退職を経験していると記憶しています。そうですね。一回目の定年退職で、実際の父の南山での存在そのものが修了したことになるのでしょうか?南山学園のここまでの歴史の中で名物先生とされた方々が、この世を去るという悲しい出来事が、ここ数年続いています。そんな南山を育てた世代は忘れ去られていくのでしょうね。
ほんの少し悲しい気がしますが、時代の移り変わりということになるのでしょう。
団塊の世代から壮年期に入られる、父の教え子であられる諸先輩がたの脳裏には教師・福山徹の姿がしっかりと刻まれていると思います。そして、息子である自分自身の心の中に、父・徹の存在と教師・福山徹の存在はかけ離れることなく重要な年輪として活力の源になっていると思います。退官してからの父の人間らしさに日々、驚かされることも多くありますが、南山での教師・福山徹にしても、南山の歴史にしても、現在の親父の言動一つ一つにしても、それらすべてが父・徹の存在感であり、実績であり、証なのでしょうね。

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コメント 4

KOZOU

中国のことわざに水を飲むときは井戸を掘った人のことを忘れるなというのがありますが、ほんとに先駆者の苦労は忘れるのが人間の常のようですね。
お父様の怒りもよくわかる気がしますね。
by KOZOU (2009-04-21 18:22) 

★まっと★

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
ちょうど父が南山を退官する頃まで、カレンも自分も南山の国際中学高等学校で教壇に立っていました。
忘れもしませんねぇ・・
失礼な人々・・・・今でも皆さん、お勤めのようですが・・・学校もどうなっているのでしょうか・・・
まぁ、今は自分の職場とは全く関係が無いので、なんともいえませんけどね。
by ★まっと★ (2009-04-21 21:21) 

gyaro

南山への思いがとてもよくわかりますね☆
by gyaro (2009-06-06 14:47) 

★まっと★

gyaroさん(●⌒∇⌒●)
父にとっては一生をささげたようなものですから・・・
by ★まっと★ (2009-06-06 19:03) 

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