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エッセイ『ムシンスカ教授の一言』(青年期) [『ぶん★文★ぶん』]

名古屋音楽大学在学中にポーランドのワルシャワ高等音楽院に留学しました。現在、この学校は『フレデリック・ショパン音楽院』と言う名前になっています。ショパンがあまりにも好きで、どうしてもショパンを深く勉強したかった。そして、自分の音楽を多方面から見直す、すばらしい機会になりました。たくさんのショパンの作品を用意してワルシャワに向かった★まっと★ですが、何が自分に足りないのか、よく理解したように思います。音楽を聴いているときには自分なりにそこから感じるものが多くあるのですが、どうしても自分の中にあるものを表に表現することができないのです。心と技術。とても難しい問題ですが、客観的に音楽を聴いているときにはその音楽を心で受け止めているのでしょう。ですから悲喜こもごもな感情やその音楽の持つ色を自分なりに解釈することができるのです。しかしながら、実際に自分自身がピアノに向かい、演奏しているときと言うのは、演奏する技術にとらわれたり、音が持つ一つずつの色合いや温かみを感じている余裕がなくなってしまうのでしょう。心にある自分の感情を音に乗せて表現できるところまで、達していなかったように思います。その結果、音楽と心が別のところに存在し、聞いている皆さんも何も感じない演奏になってしまうのでしょう。ともすれば自己終結型、エネルギー浪費型の演奏だったのかもしれません。
日本人は箸で食事をする文化。西洋人はフォークとナイフで食事をする文化。ショパンが箸で食事をしている姿はとても想像がつきません。そうした文化の詳細を自分が把握することからはじめなくてはならなかったのでしょう。ショパンの生まれた土地で感じるものは多く、自分自身が習得したものは感情の糧、そして★まっと★自身の人間としての糧となり、音楽を表現する中でとても重要な部分になっています。何よりもすばらしい財産でしょう。
名古屋音楽大学での生活と、ワルシャワの音楽院での生活とのギャップの大きさは、言葉では表現できないほどのものでした。自分はできる限りショパンを肌で感じ、そのショパンが見たものを自分の目でも見たかった。そして、自分なりに解釈してその感情をピアノの音で表現することができればと考えました。ここで初めて音楽家としての自我が芽生えたのかもしれません。
このワルシャワの音楽院で出会ったのがバーバラ・ムシンスカ教授です。彼女は決して派手な先生ではありませんでした。しかし、『黒鍵』のレッスンのときの彼女の演奏と技術に脅威を覚えました。指の技術だけでなく、その表現力の豊かさ。★まっと★自身の情けない演奏とは異なり、技術のバリエーションとその使い分け、そして、音量の加減など何をとっても自分にないものばかりでした。★まっと★の技術は長年日本で教えこまれた指の形をキープし、ひたすら鍵盤の上を滑らかではありながらも、単調にすべるような演奏でした。同じ楽曲なのかと思えるほどその差は歴然としていました。そして、何よりも先生が演奏してくださる。そしてレッスンをしてくださる。音を聞かせてくださって、レッスンをつけてくださることが何よりも感動的でした。日本ではそのような先生に出会うことがあまりにも少なかったからでしょう。
★まっと★は『この先生にこれからも師事したい。』と思いました。日本に帰り音楽大学を卒業するよりも、このままポーランドに居残り、レッスンを受け続けたいと思いました。しかし、その旨をムシンスカ教授に伝えると『あなたの音楽はここ東ヨーロッパでは華やか過ぎます。感じる力がそれだけあるのなら、もっと昇華させるためには西ヨーロッパかアメリカですばらしい先生がたくさんいるはずです。そちらで勉強したほうがもっと成長できると思います。』との言葉。当時の★まっと★にしてみればばっさり切られた、または斬られた感じがしたのですが、事実先生はよく★まっと★のことを見ていてくださったのかもしれません。後ろ髪を引かれる思いで、ワルシャワをあとにしたのです。
しかし、このムシンスカ教授の一言がなければ英国留学には結びつかなかったでしょうし、妻・カレンとも出会うことはなかったでしょうし、勿論、今の生活があったとは思えません。多くの皆さんからいろいろな影響を受けながらここまで生きてきたことを再確認しています。
日本に帰国して、あと数ヶ月の大学生活。しかしながら、卒業試験までのレッスンがあまりにもポーランドでのレッスンとは異なり、無意味に思えて仕方がなかった★まっと★は、目前の名古屋音楽大学の卒業を控えながらも、無気力になっていました。数ヶ月で卒業だとわかっていても、レッスンにも練習にも座学にも嫌気がさしていました。それは学校を退学して早く留学したいと言う気持ちに変わっていきました。しかし、あと数ヶ月で卒業。両親が許してくれるわけがありません。父に説得され、『ちゃんと名古屋音楽大学を卒業したら、留学させてやる。』と約束までこぎつけ、残りの数ヶ月の大学生活を送りました。
3月に卒業し4月に名古屋でデビューリサイタルを開催。そして、7月に英国にわたることになったのです。★まっと★が英国を選んだ理由は、アメリカでクラシックピアノを勉強する気にはなれなかったのです。そして、★まっと★は決して英語が得意なほうではなかったのですが、音楽大学では英語は2年間・8単位の必須外国語科目です。★まっと★は単位を落としまくりで、大学4年生まで1年生と2年生の英語を履修していました。後輩たちと一緒に座学を受講していたんですね。少なくとも日本で中学、高校、大学、計10年間も英語は勉強したのだから、ほかの言語よりは楽だろうという目算が立ったわけです。ポーランドでは語学でとても困りました。ヨーロッパで英語を話す国は英国しかなかったのです。当時はまだインターネットと言うものは普及もしていませんでしたから、英国のどこにどのような学校があるのかも知らず、ただ、英国にわたったのです。それから英語学校、音楽院探しと忙しい英国生活が始まりました。これもすべてムシンスカ教授の一言がきっかけだったんですね。
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pace

最近よく思うのです
良い音楽?良い画?良い写真?
表現の裏には限りない物語が語られていなければならない。
共鳴、共振、奥深く感じる心
聴く者、見る者、感じる者が物語を読めるもの
そんなものなのかなと、最近思います。
by pace (2009-04-10 01:13) 

★まっと★

paceさん(●⌒∇⌒●)
よく美術やアートは永久芸術、音楽は瞬間芸術・・などというお話を聞くことがありますが、実際にその本質は同じなのだと思います。
作品に取り組んでいるときが芸術家にとっては『芸術』なのでしょうねぇ。そしてその完成品を見る、聴く。感じる側にとってはそこまでのプロセスを紐解くことが『芸術』なのでしょう。感じるものがなければ底には『芸術』が存在しないでしょうし。。。
by ★まっと★ (2009-04-10 05:52) 

chibiroh

おはようございますー
まっとさんの情熱的な生き方、
まっすぐな生き方を読んで
今日も頑張らなくちゃ!な気持ちになりまました!
by chibiroh (2009-04-10 05:53) 

いわもっち

おはようございます。
まっとさんも、paceさんのコメントも深いなぁー。
勉強になります。
本日も暑くなりそうです。
頑張りましょう! (^^;
by いわもっち (2009-04-10 05:56) 

A・ラファエル

本当に良い先生ですね。
何が生徒に必要なのかみているのですね。
by A・ラファエル (2009-04-10 07:54) 

ちゃーちゃん

難しい事は分りませんが、芸術家は自分の作品を
後世迄残しておけるし、振り返る事に寄って
其の時々の技術や感情が思い起こされて最高ですネ。
良い先生に巡り会って今の★まっと★さんがいらっしゃるのですね・・・あぁ・感激!!
by ちゃーちゃん (2009-04-10 08:30) 

★まっと★

chibirohさん(●⌒∇⌒●)
おはようございます。
やはり、ポーランドでもっと勉強したかったという気持ちはありますが、正しい道の選択を手助けしていただいたことは事実だと思っています。
がんばらなきゃね。

いわもっちさん(●⌒∇⌒●)
今日も暑くなりそうですね。
昨日は汗ばんでしまいましたよ。
深いというよりもがんばらなきゃっていうきもちだけなんですよね。

A・ラファエルさん(●⌒∇⌒●)
本当に感謝です、学生は学生で考えるところがありますが、それをどのようにはぐくんでいくかは指導者による部分が多いです。
自分も肝に銘じなければ・・・・。

ちゃーちゃん(●⌒∇⌒●)
やはり、良い師匠に出会うこと・・これは大切なキーポイントだったと思います。
また、自分自身も良い師匠と言われるように磨きをかけなくては・・・・。
by ★まっと★ (2009-04-10 09:15) 

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