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Chinto物語 その42 [Chinto物語]

■ヒヤチント物語 (NO.42)
今日から、札幌の健二・敦子のお二人さんに話を移します。先ず、敦子さんの生い立ち。1955年5月5日に結婚した福山家(徹・沢美)に翌年,1956年(昭和31年)4月27日待望の赤ちゃんが誕生致しました。顔のくしゃくしゃした小さな可愛い女の子でした。正に、神様から授かった宝物と言う感じをうけました。これが初めて対面した時の第一印象でした。
当時は桜山の一軒家の二階に住んでいました。生まれたのは聖霊病院でした。直ぐに幼児洗礼を受け、マリア・ゴレッチイ。 名前は?決める時、アア、アイ、アウ,アエ、アオ、アカ、----と順番に唱えながらそれに子をつけて、アツまで来た所でコレデイイワということになり敦子と決定しました。退院してからの赤ん坊を抱えての二階の仮住まいは、母さんにとっては大変なことのようでした。そして間もなく、星が丘のアパートに引越しました。4階で、向かいが小島さんでした。(住んでたアパートはもうないよ)子供時代を星が丘で過ごした敦子さんにとっては懐かしい思い出深い場所だと思いますが、楽しい事ばかりではありませんでしたよね。敦子さんにとっては苦しみの時代だったと思いますが、今振り返って見ると、そういう時代もあったかなという位のことかな?それは、今、健二君という伴侶がいて幸せを感じれるからで、当時は、本人にとっては辛い事だったと、親の私共は真剣に思うほどです。ペルテスてなんでしょうか?


■姉・敦子のコメント
ヒヤチント物語では、しわくちゃ赤ちゃんが登場ですね!「神様から授かった宝物と言う感じをうけました。」がお父さんらしいと思いました。この時、父と娘の深ぁ~い絆が生まれたのですね!
娘は、何でかすごぉ~いお父さんっ子でした。ちっちゃい時、お父さんが好きで好きでたまらなかったのです。くっついていくと、煙草の匂いがして、ある程度の年になるまでそれが、お父さんの匂いだと思っていました。懐かしいなぁ~。
何度もいうけど、子供時代辛くなかったヨン!ハイ!


■★まっと★のコメント
ふむふむ・・・・話は前後になりましたが、★まっと★が生まれる前に勿論、姉・敦子が生まれていたわけですね。福山家の第一子ですからね。しわくちゃであろうが、大切な長女の誕生です。この名前の付け方には甚だあきれてしまいますが、これも父・徹らしいのかもしれませんね。姉・敦子はいつも言っていますが、子供時代、つらくなかったと・・・・。しかしながら、それをシリアスに受け取りすぎた兄弟や家族は一寸かわいそうだったかもしれませんね。まぁ、無事にすべてが終わり、今の人生を歩めることはこういった細かい布石もきっと糧になっているのだと思います。人生ってすばらしいです。


■姉・敦子のコメント
まぁ~どこまでもどこまでものろけが続くことでぇ~・・・・・・中睦ましいご夫婦なのは充分わかりやしたです。ハイ!!!これからも、支え合いお幸せにぃ~。我家も負けずに頑張ろっと!
名前はどういう付け方だったにせよ、結構自分の名前気に入ってます。でもさぁ~敦子じゃなかったら、めぐみだったと聞いたんだけど・・・。めぐみの「メ」まで行かなかったはずなのに???んんん七不思議?


■★まっと★のコメント
はいはい。。うちはあったかい夫婦でございます。
あれれ・?????★みどり★じゃなかったっけ・??ちがったかな?いかがでしょう??
母君の記憶をお話いただくしかないようですね。

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KOZOU

父と娘さんとは一般的にも独特の気持ちがあるのでしょうね。
私の父はタバコは吸わなかったですが独特の体臭はありましたね。
今でもよく覚えています。
確かに名前の付け方はと思いますがとてもいい名前だから結果オーライですね(*^_^*)
by KOZOU (2009-05-04 20:37) 

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