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Chinto物語 その45 [Chinto物語]

■ヒヤチント物語 (NO.45)
信州大学は、たしか2年生から伊那に変わったんだったよね。引越しで伊那まで行ったような気がします。我が家としては、同時に2人が大学生となったので、学資の仕送りで苦しい火の車状態のときでした。しかも孝君はお金の掛かる音楽大学だし、信州は国立だが家からは通えないから下宿ですし、そうそう思い出した。敦子さんが信州に合格したとき、名城大学にも合格していて、信州は国立二期で合格発表前に名城の方の入学金を納めなければならず、大金を納めてからの信州の合格通知だったので、どうしょうかと本人は随分迷ったようですが、信州に行くのが当然との一声で決心したようでしたね。名城に行ってたら、健二君ともお会い出来なかったでしょう。神様はちゃんと見越しておいでですよね。
伊那で決めた下宿、それからもっと安いとこに引越しましたよね。そこが健二君と同じアパートだったこともあってお2人は親しくおなりあそばされました。更に、敦子さんが、交通事故かなんかで顔をやられて入院。健二君に本人が電話を掛けて知らせ名古屋まで彼が飛んでくると言うハプニングもあり、ますます親密度が深まったと想像しています。鎌倉のご両親にも挨拶に行き、昭和56年4月25日札幌の富沢司教様の司式で小林社長夫妻の仲人で結婚式をあげ、二人は、北海道の牧場へとまいりました。それ以来、道内をあちこちと移り、札幌に定住するようになり、お仕事も保険家さんとなりました。札幌の二人とは、毎年,年中行事として、ハワイであうことにしております。今年も行きますよ。次回は、煙草の話を一寸。


■★まっと★のコメント
今回も訂正をひとつ・・・・・。姉・敦子が名古屋で交通事故にあい、お義兄さんに電話したのは★まっと★です。父と母が医者に呼ばれているとき、姉の病室に入った★まっと★は姉から健二さんに電話して欲しいと言われ、当時は携帯電話もなかったので、病院中で10円玉をかき集めお義兄さんのいる鎌倉に電話しました。事故は朝、8時13分ごろの出来事でしたが、その日の午後には鎌倉から名古屋にお義兄さんが駆けつけてくれました。姉の顔は通常の2倍ほどにも腫れ上がり、痛々しい姿は今でも忘れることができません。また、事故を起こした場所に車が放置されているので、その車を路肩に移動するように警察から言われ、その大役を仰せつかってしまったのはなぜか★まっと★でした。名古屋市内御器所から西へ進み、東郊通二丁目の交差点(片側四車線)付近に事故車は放置されていました。姉の車はセリカ1600STのモスグリーン。当時、とても流行っていた車です。そして、右折しようとした姉の車の助手席側ドアに逆方向からの直進車がかなりのスピードで突っ込んだようです。マニュアルの車、ギアのところまで助手席のドアが入り込んでいました。助手席に人が乗っていたら、即死だったと思います。そして、助手席ドアの窓ガラスが割れ、姉の顔を切り裂きフロントガラスは粉々になり、姉の顔の傷口に埋まりこんだのでしょう。運転席には割れて粉々になったフロントガラスの破片だらけでとても座れる状態ではなかったのです。トランクに入っていた車カバーをシートに敷き、その上に座りました。エンジンはどうにかかかりました。そしてハンドルに手をかけたとき、表面がかさぶた状態になった姉の血液が大量に付着していて★まっと★の手は真っ赤に、そして、ハンドルをきるにも手がズルズルと滑ってしまって、ほんの数十メートルの移動をしただけですが、★まっと★は涙が出てきて悲しくなってただ、ヒクヒクと項垂れるしかできませんでした。『どうしてうちのおねえちゃんが・・・・・』と、何度も神様に尋ねました。どれほど痛いのだろう?どれほど辛いのだろう?しかし、★まっと★がいくら心配しても姉・敦子は弟の★まっと★にだけ、健二さんを呼んで欲しいと声にならない声でこっそりと言ったのです。シスターコンプレックスだった★まっと★もこのときに姉が必要としているのは家族の誰よりも、お義兄さんであることを知らされました。一寸悲しかったけど、姉が自分にだけ頼んでくれたことを弟として何とか全うしなくてはと自分を奮い起こしました。しかし、何度、鎌倉の健二さんに電話しても誰もいらっしゃらない。かき集めた10円玉を握り締めて何度も鎌倉に電話しました。そして、ようやくお義兄さんに連絡が取れたのはお昼に近かったと思います。そして、午後4時半にはお義兄さんは名古屋の姉の病院に来てくれました。このとき、姉・敦子のなかではもう福山の家族よりも高橋健二さんのほうが優先順位が高くなっていることを心のなかに刻んでおきました。それから数年後、姉は健二さんと結婚するわけですが、★まっと★には反対する理由は何もありませんでした。でも、お義兄さんが名古屋に来て福山の両親にプロポーズの旨を伝える際に、★まっと★を交えて作戦会議を開いてくれたのは一寸うれしかったです。★まっと★にしてみても反対する理由も何もありませんから、ひたすらこの婚約がうまくまとまることを望んでいました。考えてみれば、福山の両親もこの事故以来、きっと★まっと★と同じように健二さんが後に姉・敦子の結婚相手になることを暗黙のうちに知らされていたと思います。
実はこの姉の事故の当日、母・澤美は姉の看病で病院に泊まりこみ、父・徹、義兄・健二、★まっと★の男三人は、なんと近くの餃子屋さんで餃子を食べ、ビールを飲んで帰ったのです。しかも、帰宅途中には三人でパチンコに出かけたのも事実です。なぜでしょう???詳しくは覚えていませんが、とにかく、父、義兄、★まっと★にとって、それぞれに長い一日であったのは事実です。母の一日は病院で姉と共に、そして、泊り込みの看病だというにもかかわらず、男三人は現実を逃避したかった部分があるのでしょうね。母・澤美は勿論、いい顔はしませんでしたね。気持ちはわかるけど、男って弱い生き物なんですよ。


■姉・敦子のコメント
ヒヤチント物語!スゴイ超特急ですねぇ~。今日は訂正させて頂きます。大学時代の記憶はちゃんとあるから・・・ネ!事故の時、鎌倉に電話したのは、タクリンです。事故当日、私は起きれる状態ではなかったのでタクリンに頼んだ時のことをはっきり覚えてます。それが頼めるのが、一緒に育った姉弟なのでしょう!!!タクリンは快くすぐ電話してくれましたよね!
ラブレターをたくさん破ったのはこれで帳消しにしてあげましょう!・・・・・・ナハッ・・・・・・
健さんは、朝からパチンコにでも出かけようかとしてた時で、たまたま、家にいたようです。
(健さんは不良でしたマル)
車の移動の描写は、すっごくリアルで直木賞ものだと思いました。なんたって、事故を起こした当人の知らない世界でしたしぃ~。当日はだた寝てるだけで何もしてないので・・ハイ!
どうも、皆様、ご迷惑をおかけ致しました。つくづく、ペルテスといい、事故といい、まぁ~皆を振り回して生きてきた人生だった事を只今実感しております。家族の愛があって今の私があるのだと本当に思います。タクリンありがとう!!!!!
健さんは涙を流して(?)読んでましたヨ!でも、タクリンの記憶力には感心しておりました。健さんは、覚えてない事がいっぱいらしい!!!!!

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pandan

訪問ありがとうございました。
by pandan (2009-05-06 06:12) 

★まっと★

pandanさん(●⌒∇⌒●)
こちらこそ。
by ★まっと★ (2009-05-06 06:32) 

ちゃーちゃん

色んな事が有ったのですね・・・
私も何故かしら涙がが出て来ました。
by ちゃーちゃん (2009-05-06 15:26) 

★まっと★

ちゃーちゃん(●⌒∇⌒●)
そうですねぇ・・
振り返ると本当にいろいろなことがありました。
……(-。-) ぼしょ・・・・
でも、今が幸せだからいいですよね。
.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪
by ★まっと★ (2009-05-06 18:08) 

KOZOU

危機一髪、ほんとにすごい事故だったのですね。
事故後の状況、★まっと★さんの気持ちは、ほんとに臨場感あふれますね。
義兄の方も男ですね(*^_^*)
ほんとに人生なにがあるかわからないけれど、克服した過去はなつかしい思い出ですね。
by KOZOU (2009-05-06 19:31) 

★まっと★

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
大変・・・といえば、大変でした。でも、姉が一番つらかったことでしょうし、★健兄★にも本当に感謝しています。
姉は福山の家に生まれて子供の頃から苦労が多かったように思います。
でも、今が幸せだから・・・
by ★まっと★ (2009-05-07 05:37) 

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