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Chinto物語 その47 [Chinto物語]

■ヒヤチント物語 (NO.47)
今日から我が最愛の妻;福山沢美(旧姓和田)の物語になります。彼女は、昭和8年7月17日,薬屋:和田全快堂の長女として,福岡市(博多)の堅粕で産声をあげました。私が、彼女に初めて会ったのは、彼女が高校3年の夏休みでした。当時、私の兄:福山新二(故人)は福岡県立福岡商業高等学校の数学の教師をしていまして、彼女は、その学校の生徒でした。卓球は当時から、部で活躍していたようです。多分、進学か就職かで彼女は思い悩んでいたのでしょう。兄が見るに見かねて気晴らしに、卓球の練習があるのに、高三の夏休みに五島まで連れてきたのです。
その時、私は、京都大学に在学中で、夏休みで五島に帰省中でした。兄が彼女を連れて来るというので、汽船の着く波止場まで迎えに出て、初めてお会いしました。初めての印象は「とても活発な美しい(?)お嬢さん」と言う感じでした。父も母もまだ健在でしたので、皆で歓迎して迎えました。楽しい夏休みを送る事が出来ました。
博多に帰る日、海が荒れて船が欠航してしまいました。密かに喜んだ私でした。楽しい夏休みも終わり、私は京都に戻りました。そこから文通の始まりです。彼女は五島から帰って(船の欠航で遅れて試合に出れず、顧問の先生から酷く叱られたようです。
彼女は卒業して畑添経理事務所に勤めるようになり、私も大学の卒業式を迎えるに当たって、保護者代表として彼女に京都まで来て頂くまでに文通も発展していました。 毎日のように手紙を書いていましたからその量たるや呆れるほどでした。昭和29年、私は南山に就職して名古屋に住む事になり、一年後の昭和30年(1955年)5月5日、二人は目出度く結ばれました。思い出の都市、京都の河原町三条のカトリック教会で挙げた結婚式でした。逞しい母さん福山沢美の話は続きます。


■★まっと★のコメント
あらら・・このお話は母・澤美から聞くことは多かったですが、父・徹の口から聞くのは初めてなのかもしれませんね。父さんのほうが先に母さんに惚れたんだということを確認しました。あのおばあちゃんが母さんを暖かく迎えたんですかぁ?それはちょっと考えにくいものがありますね。子供心に嫁いびりの厳しい方だったようにしか覚えていませんから。無論、新二おじさんの教え子として迎えるのと、嫁として迎えるのとでは、あのヨツばあちゃんにとっては大きな違いがあったんでしょうね。お見合いが主流の福山家ですからね・・父・徹の兄弟姉妹のなかで恋愛結婚したのは父・徹と母・澤美だけですものね。五島のおばあちゃん:ヨツさんはやっぱり一寸苦手でした。あまりにも博多のおじいちゃん、おばあちゃんがやさしかったから、それだけにギャップを感じましたね。五島の清一郎じいちゃんのことは記憶に全くないですね。姉・敦子は清一郎じいちゃんとの写真が残っているくらいですから・・・。


■姉・敦子のコメント
どちらが先に惚れたのか?それはわかりませんが・・・・、船が欠航になって、お父さんが喜んだとはねぇ~。お父さんから直接こういう話を聞く機会が与えられた事を本当にありがたく思います。
五島(福山)のおばちゃんの印象?!私は、タクリンほど敏感ではないので、それ程思いませんでしたが?!


■父・徹のコメント
孝君のコメントではヨツさんのことが、随分、酷い人のように書かれていましたが、そんな方では決して無かったと私は思います。何と言っても、私のお母様でございますので、おて柔らかにお願い申し上げます。そうでなければ、こんな良い息子(君の父親のこと)が育つ訳がありませんよ。お願いだから、思い直して頂戴。彼女は私の母上ですぞ。過去の事は、何事も、好い思い出にしましょうね。


■★まっと★のコメント
そうですね。でも、お父さんの人生の中で祖母・ヨツとの接点はあまり見出すことができないので、長男としては父は父、祖母は祖母として客観的に受け止めてしまっている部分もあるのかもしれません。いずれにせよ、『過去の事は、何事も、好い思い出にしましょうね。』これはお父さんの持論ですね。本当に素敵だと思いますが、拭えないこともあるものです。しかしながら、小学校6年生のときに一人で五島に渡ったとき、祖母から直接★まっと★に『あなたは生まれてくるはずの孫ではなかった。』と言われた事実、忘れるように努力します。『あなたのお父さんにはちゃんとほかの女の人を用意していたのに・・・』。そこまで言われて子供が傷つかないわけありませんからね。そういった布石から考えても、父・徹と祖母・ヨツとの接点は見出すことができずにいるのです。

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ちゃーちゃん

子供心にも切ないおばあちゃんの言葉ですネ・・・
それでもお父様にとっては何ごとにも代え難い母親なんですネ。
今となっては最愛の母上なんでしょう・・・
待つさんは今も此の事を覚えているのはショックが大きかったのでしょう?・・・
by ちゃーちゃん (2009-05-08 00:13) 

pace

複雑なドラマですね
それぞれの家庭、時代、等々色々あったのですよね
by pace (2009-05-08 01:21) 

いわもっち

おはようございます。
よく降りましたねー。
名古屋はもう雨上がりですかね。
さぁ、今日も頑張りますか! (^^)
by いわもっち (2009-05-08 06:02) 

★まっと★

ちゃーちゃん(●⌒∇⌒●)
父にとっては大切な母親・・でも、父も家族で生活した期間は一生の中でもそれほど長かったわけではありません。
両親よりも先に上海から日本に戻っておりますし、その後は陸軍士官学校、第三高等学校、京都大学と親元を離れての生活ですからね。でも、やはり血のつながった母親ですものね。
この当たりはかなり難しいです。

paceさん(●⌒∇⌒●)
それぞれの家族にそれぞれの歴史がありますね。でも、今自分もこの年になって、かなり落ち着いて物事を考えることが出来るようにはなっていますが・・・どうでしょうか・・やはり心にのこる言葉っていいものとして残って欲しかったと思ってしまいます。

いわもっちさん(●⌒∇⌒●)
おはようございます。
よく降りました。
今朝はとりあえずあがっていますが、まだ怪しいですね。
さぁ、一日がんばります。
by ★まっと★ (2009-05-08 06:25) 

A・ラファエル

おばぁちゃんのこの言葉は、
忘れられるはずもないでしょう。
自己を全否定されたのと同じ意味を持った言葉です。
これは時が経てば癒される種類のものではありません。
もし、気になるならプロの手を借りた方がいいと思います。
by A・ラファエル (2009-05-08 07:33) 

★まっと★

A・ラファエルさん(●⌒∇⌒●)
ご助言ありがとうございます。
取り合えず、それほど弱くないとおもいます。
家族が居ますもの。
.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪
by ★まっと★ (2009-05-08 08:02) 

gensan

子供には 絶対言ってはいけない言葉ですね・・・
それは まっとさんだけでなく お母様を否定された言葉ですものね・・・
かなり お母様はご苦労されたでしょうね・・・
外的な傷はいずれ治癒しますが・・・心の傷は・・・
お母様は それを乗り越えて 今の笑顔をしてらっしゃる・・・やっぱり 母親って 凄い!!
そのお母様の息子★まっと★さんも 凄い!!

by gensan (2009-05-08 12:05) 

★まっと★

genさんo(^-^)o
そうですね。でもね、やはり自分のことよりも母を否定されたことに大きなショックがあったのかもしれませんね。genさんに気づかせていただきました。ありがとう。なんだかんだいっても自分のたった一人のお母さんですものね。いやいや~さすがgenさん!本当に☆ありがとうm(__)m☆
by ★まっと★ (2009-05-08 13:25) 

A・ラファエル

頑張っていて、素敵です。
でも、ちょっと一言プロの手を借りるというのは、
皆さん弱いからするわけではありませんよ。

by A・ラファエル (2009-05-08 21:30) 

★まっと★

A・ラファエルさん(●⌒∇⌒●)
ありがとうございます。
by ★まっと★ (2009-05-08 21:52) 

KOZOU

お父様のなれそめはほんとにほほえましいというか、昔の男性はなかなか口に出しては言われないものですよね。
毎日の手紙がすごいですね(*^_^*)
まちがいなくお父様が惚れられていたような(*^_^*)

★まっと★さんの気持ちよくわかります。
それは残るでしょうね。
子供心はけして侮れないですよね。

by KOZOU (2009-05-08 22:28) 

★まっと★

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
父と母の文通はかなり激しいものだったようです。
今ではメール・・
あっという間に返事も返ってきますね。

そうですねぇ・・
子供心に傷ついたのは事実ですね。
でも、大丈夫。
.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪
by ★まっと★ (2009-05-09 16:00) 

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