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エッセイ『ベーゼンドルファーとの再会』(青年期) [『ぶん★文★ぶん』]

32.gif2004年はいろいろな意味で自分のピアニスト人生の中では飛躍できたとしだと考えています。ピアノを始めて45年近くになり、年齢とともに半世紀にわたり、ピアノを演奏してきました。しかし、その中でも英国で学んだ4年間の思い出というものは決して人生の中で忘れることのできない期間です。そして、井の中の蛙であった自分は世の中にヤマハとカワイしかピアノは存在しないとさえ思っていました。スタインウェイの名前は知っていても日本の音楽大学で触らせていただく機械はまったく無く、他のブランドのピアノには程遠く縁がなかったわけです。英国でであったのがベーゼンドルファー。恩師トニー・リンゼイが愛用していたベーゼンドルファーという楽器で毎週3回のレッスンを受けていたのです。
彼が奏でる音と自分の音の違いにとてつもなく驚き、そして彼の音を自分がマスターしたいと考えました。それまではピアノはピアノであって、音自体がそれほど変わるものではないと勝手な解釈をしていたものです。
どのように稽古しても彼の音を真似することさえできなかったこと、悔しかったあの思いは今でも忘れません。しかし、レッスンの回数を重ねるごとになんとなく漠然とではありますが、力の加え加減や、音色の方向性がテクニックとしてではなく、感性として理解できるようになりました。美しい音色を響かせることは心で奏でるもの以外のなにものでもないのです。
そして、トニー・リンゼイが満足げに自分が奏でた音にブラボーと声をかけてくれたとき、彼の音を本当に習得できたのだと確信しました。ヤマハであっても、カワイであっても、素晴らしい楽器は存在します。また、スタインウェイであっても、ベーゼンドルファーであってもその最大限の表現力を持ち合わせない楽器も存在します。その中で、自分にぴったりのベーゼンドルファーはインペリアル『皇帝』と呼ばれる最高級品の楽器。
日本に帰国してからは演奏活動と生活そのものの忙しさに追われながら、英国で学習した音作りを必死に守り、また、自分の音を見つめなおしながら、より良い音楽性に富んだ音の遊戯をお客様にご披露すべく音を作り上げる日々でした。しかしながら、そのような毎日の中、日本でのベーゼンドルファーとの出会いはインペリアル『皇帝』という名にはふさわしくない楽器保管状況に置かれた哀れなものであったり、コンディションが優れないものが多く、日本ではなかなかベーゼンドルファーの本物の音をお客様に聞いていただく機会に恵まれなかったのも事実です。
帰国して20年の月日のなかで、いつしか自分の音に対する欲求は与えられたピアノの中で自分が奏でることができる最高の『音』と変化し、ベーゼンドルファーの本物の美しさを自分自身ですら忘れかけていた部分があったかもしれません。

2001年にトゥレブルクレフという演奏団体を★まっとらんど★に設置し、日本全国の多くの演奏家に出会う機会を得ることができました。そして、すぐに長野のソプラノ歌手:本島洋子さんと出会いました。彼女の音楽に対する愛情と豊かな心は我々の仲間たちもとても救われています。そして、彼女から長野の皆さんにも福山のピアノの音色を・・・という熱い思いをカtられ増した。そして、本島さんご自身がプロモートしてくださり、プレコンサートとして福山 孝ピアノライブが2004年6月に長野市内で開催され、11月には長野県のテノール歌手:清住真達さんとともにジョイント・リサイタルを長野市若里市民文化ホールにて開催してくださったのです。
本島さんは福山がこよなく愛するベーゼンドルファーのお話をご存知で、若里市民文化ホールにはベーゼンドルファーが用意されているので、是非とも演奏をして欲しいというお話でした。この数年、なかなかベーゼンドルファーとの出会いが少なかったものですから、自分自身も名古屋から長野に向かう車中も、とても久しぶりとなるベーゼンドルファーとの再会に心がはずんでいたことを覚えています。
そして、演奏会当日。リハーサルにてピアノに触れた瞬間に、英国での4年間が走馬灯のように自分の脳裏を熱くしました。この音、まさにこの『音』が自分が求める最高の音の遊戯を演出できる素材であると確信しました。コンディションも最高に保たれ、調律の仕上がりも完璧で、自分が鍵盤にさわり、その鍵盤通じて弦が奏でる音そのものが、もう音楽の素材として十分すぎるほどの価値を持っていました。これが本来のベーゼンドルファーの音。その環境がこのステージにあると思う瞬間、とてつもない熱い思いが胸にこみ上げてきました。
本島さんは私が大好きなシュークリームをわざわざ京都から取り寄せてくださり、至れり尽くせりのおもてなしをしてくださいました。ピアノに恵まれ、そしてサポートしてくださるスタッフに恵まれて、最高の気分で本番を待つことになりました。
プログラムは2004年秋のシリーズのプログラムで、ガーシュインのプレリュード、ショパンの小品、そして、同じくショパンのソナタ弟3番という少々派手なものでした。この秋のシリーズでは長野の本番一週間前に名古屋でも演奏したのですが、自分なりには少々不本意な出来で、その一週間は真剣に再取り組みを試みました。それだけにどうしてもできる限りの力を出したかったのです。
そして、ピアノと向き合い、最初の音を出した瞬間に、ベーゼンドルファーが唄い始めてくれました。最高の気分です。胸に熱いものを感じました。ひとつひとつの音がまるで水上を静かに戯れるかのような心地よい音色としてホールに響き渡りました。自分が表現したい音を100パーセントのサウンドで奏でてくれる楽器に出会えた喜びで一段と胸が熱くなりました。そして長野の皆さんとその楽興の時をともに過ごすことができている充実感で、体中の血液が音の分子に成り代わり、ステージから客席に流れていく快感を心地よくかみ締めました。その機会を与えてくださった本島さんに心より感謝の気持ちを表現したい欲求を深く感じました。
そして、すべてのプログラムが終了し幕が下りて、舞台すそに戻ったとき、涙が止まらなくなってしまいました。思い起こせば22歳でのデビューリサイタル以来の号泣でした。舞台袖に控えてくださっていた本島さんの顔を見た瞬間にすべての思いと感謝の気持ちが言葉ではなく涙となって、止め処もなく流れていました。口から『ありがとう』の一言さえも発することができないほど、自分のエネルギーをステージで放出できたことは舞台人としての最高の瞬間でした。
こうして自分とベーゼンドルファーとの再会は、同じく音楽を愛する仲間:本島さんの手によって、福山にその機会を与えられたのです。いままで数え切れない演奏会を開催してきましたが、生涯忘れることのできない演奏会になったことは言うまでもありません。

本島さん、本当にありがとうございました。
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gyaro

『ブラボー』のくだり、とても感動しました。
自分は自分がこれだと信じたものに45年打ち込めるかどうか、今はわかりませんが、
今日の★まっと★様の記事を読んで、
「やっていこう」と思いました☆
by gyaro (2009-03-29 12:32) 

★まっと★

本当に師匠トニーが立った一言ですが『ブラボー』と言ってくれたこと、それだけで先があるって思えました。
大切な一言でした。
自分のお弟子さんにも今までに数回同じことを言ってみました。どう、とららえているのでしょうか・・・
by ★まっと★ (2009-03-29 13:40) 

KOZOU

人ともそうだし楽器とも出会いなのですね。
スタンウェイは聞いたことありますがベーゼンドルファーは知らなかったですね。
やはりピアノによって演奏も違ってくるのですね。
「ブラボー」、ほんとに嬉しかったでしょうね(*^_^*)
by KOZOU (2009-03-29 14:13) 

★まっと★

KOZOうさん(●⌒∇⌒●)
師匠はいつもけなすことをしない人でした。
しかし、ほめることも特別にしない・・
この一言の奥深さを今でも感じています。
by ★まっと★ (2009-03-29 18:46) 

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