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2017年 秋のコンサートツアー日程 [Information]

大阪公演、名古屋公演に引き続き札幌公演も決定いたしました。
来年も皆様のご来場を心よりお待ちいたしております。

■INFORMATION■

福山 孝 ピアノリサイタル2017 with Karen  大阪公演
2017年10月29日(日)午後2時開演
江戸堀コダマビル・レッスンホール(大阪・肥後橋)
主催:★まっとらんど★ 
後援:トゥレブル・クレフ たいようサウンドファーム
3000円
福山 孝 ピアノリサイタル2017 with Karen  札幌公演
2017年11月18日(土)午後4時開演
渡辺淳一文学館(札幌・中島公園)
主催:まっとらんど 
後援:ティーライフ トゥレブル・クレフ たいようサウンドファーム
3000円
福山 孝 ピアノリサイタル2017 with Karen  名古屋公演
2017年11月22日(水)午後7時開演
熱田文化小劇場(名古屋・熱田)
主催:★まっとらんど★ 
後援:トゥレブル・クレフ たいようサウンドファーム
3000円


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31回目の結婚記念日 その13 [Diary]

銀婚式 オフィシャル画像
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2010年12月28日
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まっとオジサンTシャツ [Information]

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https://www.ttrinity.jp/shop/mattland/

まっとオジサンのTシャツにスウェットをそろえています。
ぜひ、閲覧してみてください。
まだまだこれから新作Tシャツも展開していくつもりです。
Tシャツ・・・・・・・・・・・2300円
スウェット・・・・・・・・・・3300円
小さめのトートバッグ・・・・・1900円

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★Matt-B-land★
オーナー:福山 孝
Takashi Matthew Fukuyama BMus ARCM
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31回目の結婚記念日 その12 [Diary]

結婚式のオフィシャル画像
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1985年12月28日
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記念撮影 [Diary]

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31回目の結婚記念日の記念撮影は自撮りであります。
(爆)
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お花に添えたメッセージ♪ [Diary]

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カレンにお花を送りました! [Diary]

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喜んでくれましたよ!
ホテルに到着であります!
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31回目の結婚記念日 その11 [Diary]

Sweet Ten Diamond



10年目の結婚記念日は・・・・
通常、英国ではエタニティー・リング(永久の愛の指環)を結婚一年目に贈ります。
でも、結婚当初・・そんなお金なかったし・・・・
エタニティー・リングは通常、カマボコのリングにぐるりと一周ダイヤが埋め込まれているものです。
普通では嫌!
名古屋を探し回って見つけた指輪です。

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31回目の結婚記念日 その10 [Diary]



1985年5月10日、我々は婚約しました。

結婚にたどり着くまでには本当に色々なことがありました。
でも、その全てが素晴らしい思い出になっているのです。
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31回目の結婚記念日 その9 [Diary]

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エッセイ『婚約から結婚』(青年期)

日本にカレンが二週間の滞在をした1985年の春。
自分の両親は本当に喜んでくれました。父と母に結婚したいという意志を伝えました。
かわいいカレンがお嫁さんに福山家にやってくる。
それだけで、あの無口な父までもがとても喜んでくれました。
そして、アメジスト(カレンと自分の誕生石)の石を入手して、指輪をつくり、
5月の連休明けに自分は英国に向けて出発しました。

勿論、カレンの両親にご挨拶するのが目的でした。
ロンドンにはカレンが迎えに来てくれていて、その足でヨークシャーのカレンの両親のもとに出かけました。
1985年5月10日のことでした。
カレンの両親とはいろいろと世間話をしました。
それまでにも何度かカレンの両親とは顔をあわせていたし、
ごく自然に普通のお話をしていましたが、
早速、本題・・・・・即ち『婚約』について話し始めたとき、
ものの見事にカレンの両親には反対されてしまいました。
日本という国を知らないカレンの両親、そして、カレンは愛だけのために結婚まで決意をかためていたとき。
両親がこの結婚を簡単に許してくれると、どこかでカレンも自分も安易な思考を持っていたのかもしれません。
宗教の違い、そして白人以外は人間ではないような言い方までされてしまいました。
今考えてみれば、反対するための理由をあちらこちらから拾い集めたように思います。
カレンをそばにおいておきたかったのでしょう。

日中、何時間話しても結論は出ませんでした。
そして、日も落ちて夕食の時間。カレンの両親は我々を夕食に誘ってくれました。
とにかく、自分としてはアメジストの指輪をなんとしてもカレンに渡さなくては、
英国まで飛んできた意味がなくなってしまう。。。。。

そして、夕食も終わり、デザートの時間になって、
『今回、自分が英国に帰ってきたのは、この指輪をカレンに渡すためです。彼女に渡すことを許してください。』と、
カレンの両親に言いました。
そうしたら、カレンの両親は『Congratulations(おめでとう)』と言ってくれました。
当然、自分もカレンもこの言葉を信じたし、とても幸せに思いました。

そして、ロンドンに二人で戻り、自分は日本に帰国したのです。
この時点で挙式の日程や細かい詳細はななにも決めておらず、
とにかく婚約をすることがこの英国への旅の目的だったわけです。
そして、日本に戻り、カレンとはまた文通の日々に戻りました。
(当時、携帯もスマホもなかったですから・・・・・・・)
カレンは本当に毎日手紙をくれました。
(当時はまだ電子メールもありませんでしたから。。。)


そして数ヶ月がたった9月のある日、、、、カレンからいつものように手紙が届きました。
『もう、わかれよう・・・。』という内容のものでした。
『・・・???????』・・・・・自分は何がなんだかわからなかったです。
ちょうどそのころ、カレンの妹の婚約話も進み始め、
カレンの母親がカレンに
『妹の婚約パーティーにはヨークシャーに帰ってくるでしょ?でも、その指輪はしてこないでね。』と
いわれたのがきっかけだったようです。
当時、カレンの両親はきっと自分が日本に一度帰ってしまったら、
この婚約を破棄することは簡単だと考えたようです。

そこで、カレンも考えました。
『この手紙を自分に書いて、もし、孝さんが英国に飛んできてくれたら、彼を信じよう。
もし、すぐに来てくれなかったら、この『愛』は終わりにしよう。』・・・
カレンにとっては一生最大のギャンブルだったようです。

日本でのんびり生活していたプー太郎の自分はあわてました。
まさか、英国でそんなことになっているとは知らなかったものですから、
その手紙を受け取って数日後には英国に飛んでいきました。
1985年10月のはじめのことでした。

ロンドンのヒースローには早朝の到着でした。スーツ姿に身を固めたカレン、、、
ゲートを出ると、泣いて佇んでいました。
『どうしたの・・??』とたずねると、
『ヒースロー空港まで、タクシーに乗ろうとしたら、
頭をドアにぶつけて、その時にあなたがくれたオパールのイヤリングを片方なくしてしまったの・・・』。
カレンはこう言って、泣くばかりでした。
自分にはわかりました。それもあるかもしれない。でも、それだけではないはず。
ほかに何かカレンは隠しているはず。
カレンは自分が来たことに対する安堵感。。。。
そして、誰にも相談できなかった両親とのやりとりなど、話したいことがいっぱいあったはず、
でも、長旅の自分を気遣って、その日は自分を部屋まで連れて行き、仕事に出かけていきました。

その晩、カレンから、いろいろな話を聞きました。
ショックでした。そして、カレンが今回あのメールを書いたのは自分と本当に結婚できるかどうか・・
自分を試すためだったことも話してくれました。
また、唯一、カレンの母親方の祖父母だけは我々の結婚に大賛成してくれていることも、聞きました。
カレンの両親の家から、祖父母の家までは歩いても5分ほどのところ。
自分がロンドンに来る前に祖父母に会って来たこと。
そして、もう、結婚後に英国にすむことはできないこと、結婚するためには英国を脱出しないと、
その糸口がないこと。数日間、寝る時間もないほどに話し合いました。

自分が英国に飛んでいったことでカレンは大きな覚悟を決めてくれました。
仕事、友達、そして家族とも離れて日本に自分が飛び出すことを。。。。。


当然、カレンの両親は反対しているわけですから、このことを伝えるわけにも行かず、
カレンが勤めていた音楽大学に妹が学生として在籍していたこともあり、
辞表は直接学長へ提出し、事情を話して内密に・・・・ということで・・・。

当時、カレンは妹と一緒にロンドンに住んでいました。
妹の目を盗んで、二人でいろいろと計画を立てました。

計画1 カレンのウェディングドレスを購入し、自分がそれを日本に持ち帰る。

計画2 クリスマスにはヨークシャーの実家に帰ると両親には伝える。

計画3 日本までの航空券を手配する。

計画4 英国の日本人の友達に事情を話し、年末年始の帰省フライトを同じ便にしてもらう。

・・・・・とにかく綿密な計画を立てました。


そして、カレンと一緒に百貨店へ出かけ、ウェディングドレスを購入。
英国の習慣として花嫁のドレスは当日まで花婿は見ることはありませんし、
ドレスは花嫁が母親と一緒に選ぶというものでした。
そういったカレンの生活習慣の中の文化さえも守ってあげられることはできませんでした。

そして、航空券の手配。
早速発券してもらいカレンのハンドバッグの中にそれから2ヶ月間、しまいこんでおくことになるのです。

カレンは通常の日々を送りながらも、指折り日本へのフライトの日を待ち続けました。
きっと針の筵のような生活だったと思います。

自分は日本に帰り、結婚式の準備に取り掛かりました。
カレンのフライトが1985年12月20日で、日本に到着するのは12月21日。
少なくとも一週間以内に挙式と披露宴を済まさなくては、
そのまま福山の家に滞在させることは難しいという両親の考えもあり、
名古屋市内のホテルで披露宴会場の予約。
結婚式は父が勤務する南山学園のカトリックのお御堂。
計画はどんどん進み、結婚式の招待状作成から席表作成など、本当に忙しい2ヶ月でした。

カレンは親しい仲間達とのフェアウェルパーティーや、唯一我々の結婚に賛成してくれた祖父母への挨拶。
勿論、5分と離れていない両親の家ではなく、祖父母の家で時間をすごしたようです。
ロンドンへの帰り際には祖父がブラッドフォードの駅まで送ってくれて、
しっかりハグしてくれて『幸せになれ。』って一言だけ言ってくれたそうです。
そのあと、祖父は振り返ることもなく駅をあとにしたと、カレンが泣きながら話してくれたこと、絶対忘れません。
カレンは従姉弟中でも一番早く生まれているので祖父母には、ことのほかかわいがられていたんですね。

そして、妹の婚約パーティー。両親に言われたとおり、指輪をはずして参加したそうです。
そのときには『次に帰ってくるのはクリスマスね。』と母親に確認され、
うなずいてロンドンに戻ったと聞いています。

12月20日、(英国時間では19日)自分はカレンを成田まで迎えに行くために、スタンバイしていたのですが、
カレンから国際電話が入りました。
『両親にエスケープがみつかった。何とか日本まで行くから心配しないで!!』とのことでした。
自分は20日に名古屋を出て早朝到着予定のカレンを成田で向かえる予定でしたが、
とにかくカレンが英国を出発しないことには、名古屋を出発できない状態になってしまったんです。
カレンの妹が自分の中だけにはしまっておけなかったんですね。
カレンの様子がおかしいと思った妹は、こっそりカレンのバッグを覗き込み、
カレンのハンドバッグの中の航空券を見つけてしまったんです。
しかし、妹は出発前日まで両親に言わずに心に秘めていたんです。
出発前日、とうとう自分の心の中に収めておくことができなくなってしまったのでしょう。
両親に電話してカレンが日本へ行ってしまう事を伝えたということです。
カレンは友達に連絡して、自分のアパートをあとにし、パッキングもそこそこに友達の家に一泊。
そして、空港に向かったとのこと。どうにかカレンがフライトに乗り込んだと言う連絡が友人から入ったのは、
日本時間でもう21日になっていました。
友人もカレンを見送ったあと、クリスマスパーティーに参加し、帰宅したあとに連絡をくれたんです。
とりあえず、カレンが飛行機に乗ったということで、翌朝、自分は成田へカレンを出迎えに行ったのです。
壮絶な一日でした。
一生忘れることは無いと思います。

とにかく、自分の両親のすごいところは、自分がいらいらしている間に、
もしカレンが日本にこのフライトでこられなくても、結婚式までには一週間ある。
(挙式は28日)だから、自分が往復すれば、つれてこられるという計算までしていたようです。
もう、すでに招待状も出ているし、披露宴のほうも準備万端。
ここで、花嫁不在の結婚式を披露するわけには、当然いきませんから・・・。
考えてみれば、とんでもないギャンブルを家族ぐるみでしていたわけです。
当時は父も南山学園理事として現役でしたし、なんと言っても福山家の長男の結婚式ですからね。

でも、無事にカレンも日本に到着し、結婚式を迎えることができました。
本当に自分以上にカレンには壮絶な思いをさせてしまったことでしょう。
カレンの激痩せぶりがすべてを物語っていました。
出会ったころのふっくらしたカレンではなく、本当に痩せ細ったカレンは最高の笑顔で結婚式に臨んでくれました。
自分はガチガチに緊張していたんですが、カレンは本当に輝いていました。
勿論現在も輝いていますよ。

それまでの苦悩から開放された喜びと、この結婚のために歩んだ道程の苦しかったことを察知せずにいられませんでした。
国際結婚・・・勿論自分にとっても初めてのことだし、カレンにとっても初めてのこと、、、、、
知らないことだらけでした。
区役所にいったら、そのまま結婚できるのかと思ったら、そう簡単には行かないんですね。
考えてみればカレンは日本に国籍がないわけですから、
英国でも、日本でも結婚を成立させるためには英国領事館での手続きなど、
二人の結婚が成立するためには2ヶ月ほどの時間を要しました。
でも、必死に書類を集めたり、結婚を成立させるためには本当に何でもできました。
カレンが日本に入国してちょうど2ヵ月後、1986年2月14日(自分の誕生日)に日本では自分が筆頭として戸籍が作られ、
1986年2月21日(カレンの誕生日)に英国でも籍が入り、
やっとの思いで、名実共に夫婦になることができたのです。

カレンが日本に来てから、何度もカレンの両親から自分の実家に電話が入りました。
そのたびに『カレン、電話にでる?』って、聞いたんですが、
カレンは首を横に振るだけでした。
それから丸々一年、カレンは両親と口をきくことはなかったんです。

1986年10月に、(我々が結婚した翌年)英国の妹が結婚しました。
勿論、我々は参列することはありませんでした。
いつの日か、姪っ子や甥っ子がどうして両親の結婚式に、我々が居ないのかと写真を見ながらたずねる日も遠くないのでしょう。
この話を姪や甥に話さなくてはならない日、辛いことになりそうです。
我々のために唯一、英国サイドで我々の結婚に賛成してくれたカレンの祖父母までもが、
我々の結婚のあと、カレンの両親とは口をきくことがなかったんです。
そして、1986年11月にカレンは日本でピアニストデビューします。
このときのプログラムを持って同じ年12月に英国のカレンが勤めていた音楽大学で
自分とカレンはリサイタルを開催しました。
前にも述べたように、妹はこの音楽大学の学生でしたから、当然、妹の耳にもその知らせは入り、
演奏会当日、妹に会うことができました。
最初、妹は自分のことを人攫いでも見るような顔でにらみつけて、わーっと泣き出しました。
でも、これしか我々が結婚できる方法はなかったのだと、彼女もわかっていたのだと思います。

そして、ヨークシャーの祖父母の所にも行きました。
両親のところには本当に近いんですが、祖父母の家の窓際の部屋に出ることは無く、
誰にも見つからないように祖父母との時間を過ごしたことを覚えています。
ヨークシャー滞在中も結局、カレンは両親の家である実家に立ち寄ることも無く、
ロンドンに戻りました。

そして、日本に帰る前日のこと、
我々はロンドンでは自分の英国時代のマネージャーの家に宿泊していたんですが、
突然、カレンの父親が現れました。
我々が英国に帰っていることを知り、そして、自分のロンドンの住所に飛んできたようです。
それもそのはず。自分が留学中に使用していたピアノをカレンのアパートに移動したときの、
ピアノ運送会社の契約書から自分の住所を入手したようです。
一年ぶりにカレンも父親に会いました。
とても重苦しい空気が漂っていました。
しかし、結婚して一年という歴史がもうすでに積み上げられていたのです。
翌日、我々は日本に向けて英国をあとにしました。

この再会のときに、我々は日本の新居の住所と電話番号をカレンの父親に渡して日本に帰国したのです。
しかし、カレン自身にはまだ心の準備ができておらず、
こちらから英国に帰国の報告などの電話をすることは、まだありませんでした。
一年という時間が作り出す距離は思った以上に遠いものでした。

そして、数週間後、カレンの母親から国際電話が入りました。
もうすでにカレンも日本で仕事をしていましたので、ちょうどカレンが不在だったときのことです。

『バーバラよ。カレンの母親のバーバラよ。昨晩、私の父親が心臓麻痺で亡くなったの。カレンに伝えて頂戴。』
自分はとても信じられませんでした。
ほんの、数週間前に一緒に食事をしたり、散歩をしたり、すばらしい時間をすごしたばかりなのに、、、。

ちょうど日本に帰ってきて、英国滞在中の写真も現像が仕上がって
(まだデジタル時代ではなかったので・・・)
アルバムを作成したところでした
。レストランで一緒に食事をしたときの写真や、祖父母の自宅での写真。
カレンが帰ってきたらこのことを伝えなくてはならないし、どうすればよいのかわからなかったです。
そして、カレンが帰宅し、二人でアルバムを見ながら、、、、、

『ねぇ、カレン、英国楽しかったね。一年の時間を要したけど、お父さんとも会えたし、話もできたし、
これはこれでよかったんだよね。』

『これ見てごらん、おじいちゃん、めッちゃ楽しそうだよね。本当にカレンのことがかわいくて仕方ないんだね。
素敵なおじいちゃんだもんね。素敵な笑顔だもんね。』

自分はカレンの顔が見られませんでした。だって、涙が止まらなくって、、、、、

『こんなに素敵な笑顔、もう見られないんだよ・・・・・・。』

自分の声はもう上ずってしまいました。

カレンが『どういうこと・・??』って、聞き返すので、

『今日、カレンが仕事に出かけてすぐに、義母さんから電話が入ったんだよ。
それで、おじいちゃんが亡くなったって・・・』

つらかったなぁ・・・カレンも一気に涙が溢れ出し、二人してわ~ん、わ~~ん、泣いてしまいました。

そして、カレンは実家に電話して、一年ぶりに母親と会話したんです。
まさか、こんなことで一年ぶりに母親と話をすることになるとは、カレンも、また母親も思っていなかったでしょう。
祖父はきっと娘(カレンの母親)と孫(カレン自身)が会話できる状態を作ってくれたんだと、
今でもカレンと話しているんです。

結婚記念日は1985年12月28日ですが、
籍が英国でも日本でも入ったのは1986年2月のこと。
そして、親子の関係が修復できたのは祖父がなくなった1987年1月のこと。

両親とも自然体で話せるようになったのは1987年12月のクリスマスにヨークシャーの実家に帰ったとき。
足掛け3年にわたる、我々の結婚へのプロセスということになるのでしょうか。
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ミニシロノワール [Diary]

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アニバーサリーだからね!
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コメダ珈琲店ナウ~~♪ [Diary]

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古くからあるコメダ珈琲店に来ました!
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31回目の結婚記念日 その8 [Diary]

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エッセイ『カレンの日本語、自分の英語』(青年期)

最近では日本にも本当に多くの外国人が生活するようになりました。
自分とカレンが結婚した当初はまだまだ、日本に住む外国人は少なかったし、
英語学校といっても今ほどの数はありませんでした。
今では中国語やフランス語、そして、アラビア語まで、ありとあらゆる外国語を教えている外語学校もあります。
自分たちが結婚した1985年頃、
日本では外国人が増え始めたころなのかもしれません。
今では考えられないようなことが、その頃では毎日の生活の中にありました。
カレンと二人で街を買い物したり、歩いていると、子供たちが何気にそばにやってきて、
耳をすましてわれわれの会話を聞いていたりすることは、最近でも良くあることです。
元気の良い子供たちは"Hello!"と声をかけてくれることさえあります。
それはそれで、まったく気にならないわけではないのですが、
自分もカレンも英語を教えているし、子供たちが英語の言葉、単語を口にしてくれることは、
日本の教育が大きく変化してきた事実の証明だとも理解しています。
ところが、結婚当初はそういうことだけではありませんでした。
近所の喫茶店に出かけるだけでも、子供たちの母親が『ほらほら、外人さんだよ!!見てごらん!!』などと
子供を呼び止めて、指をさすことさえありました。
それも一回や二回ではなく、ほぼ、毎日のようにそういうことを体験していました。
今では指までさされるようなお母さんたちはほとんどいらっしゃらないですけど、
実際問題、ちょっと嫌な感じがします。
国際社会の中での日本を考えるとき、
そういったお母さんたちもきっと、新婚旅行にはハワイや外国に出かけられていたことでしょう。
そして、指を指されたような経験はないと思うのですが、いかがでしょうか?
不思議なもので、毎日そういったことが続くと、慣れてしまうものなんです。
英国に住んでいるときにカレン自身が指を指されるといった経験は、まずなかったはずですし、
自分自身も4年間の英国生活で、指をさされた経験はないですね。
苗字や名前をちゃんと読んでもらえなかった経験はありますが、それは仕方がないことだと思っています。
カレンも最初は本当に嫌だったことでしょう。
自分とカレンの会話はちょっとおかしなもので、カレンは自分に日本語で話しかけるのですが、
自分は英語で答えています。もちろん、日本語ばかりの会話もしますし、英語ばかりの会話もします。
けんかするときにはほとんど英語です。
カレンの日本語もこの18年間(2003年現在)で、すばらしく成長していますし、
自分の英語は、もうカビが生えてきているような感じです。
自分の英語が一番よろしくない状態だったのは結婚して10年ほどの頃でしょうか・・・。
カレンが日本語の微妙なニュアンスも理解できるようになってきて、
家庭内の会話のほとんどが日本語だけになってしまい、
自分が職場でも自宅でも英語を使わなくなってしまった頃です。
職場でも外国人に出会う必要性がほとんどなく、
家庭では日本語を覚えようとするカレンにあわせて日本語を多く使っていたのです。
その頃でも年に一度は必ず英国に二人で帰っていましたが、
カレンの両親と話しをするにも英語が出てこない状態にまで、陥ってしまいました。
一週間も滞在していると、以前、英国で生活していた頃の英語力が回復するのですが、
そうしたらもう日本に帰る頃になってしまって、、、その繰り返しを数年繰り返していました。
ちょうどそんな頃、英会話学校の経営というチャンスを得ることによって、
自分は日本でも英語を話す機会が増えたのが1998年頃です。
その頃からまた毎日のように英語を使うようになりました。
ここで、自分の英語もだんだんと安定してきたように思います。
国際結婚の言葉の問題は、本当に大きなものだと思います。
お互いの国を行き来する以上、お互いの両親がどちらの国にも居て、
そこで自然に会話できることによってトラブルの解消につながるのは事実です。
いまだに、ヨークシャーの方言が理解できずに困ってしまうことはありますが、
そういうときにはカレンに助け舟を出してもらいながら英国での生活をすごしています。
カレンも日本語の毎日の生活の中で、思うように意思を伝えられないこともあるでしょうが、がんばっています。
各地の行政に一人で営業に出かけることだってありますからね。
そういった場面でもカレンの日本語は十分に通用していますし、すばらしいことだと思います。
自分も何とか今の英語力を維持し続けなくてはいけません。
英会話ができていいですね、、、、よく言われるんですが、、、、
自分たち夫婦にとっては、お互いをより深く理解するためにも、
お互いの言語を身につけておくことは大切なことなんだと、いつも認識しているのです。
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カレンはスヌーピー派 [Diary]

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自分は勿論ミッキー派だけど、カレンはスヌーピー派なんだよね。
自分からカレンへのアニバーサリーカード!
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31回目の結婚記念日 その7 [Diary]

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エッセイ『新しい文化の中での新婚生活』(青年期)

そのときは初めてのことで自分もカレンもかなり緊張していました。
教会で挙式、レストランでの披露宴だったと記憶しています。教会での結婚式が無事に終わり、
写真撮影のときでした。
我々は媒酌人だったので、新郎新婦のそれぞれのサイドに着席させていただきました。
日本人の我々は小学校のときから記念撮影で、最前列の場合、男子は握り拳を作って、
それぞれのひざの上に置くよう習慣づけられています。
女子は手を重ねてひざの上。
自然にそうするものですが、女性も黒留袖の媒酌人だったら扇を右手から左手に渡すものです。
しかしながら洋装のカレン、ハンドバッグを持つわけでもなく、手には何もなかったわけです。
手持ち無沙汰になってしまいます。手をあわせてひざの上、足は少し斜めに揃えておくと写真には美しく写ります。。
しかし、カレンはそんなノウハウを知ることもなく、ただひたすら、誰かの真似をしなくっちゃ・・って、思ったんでしょうね。
最前列の女性は皆さん黒留袖、花嫁さんは勿論、ウエディングドレスですが、手にはブーケを持っています。
何も手に持っていない女性はカレンだけ・・・・。
そこで、カレンは新郎の横に座る旦那である自分を観察したんですね。
自分は握り拳をひざの上に堂々と置き、胸を張って、
黒のディナースーツの上着の後ろをちょっとだけお尻で踏んで襟にたるみが出たり、盛り上がらないように、
自分のことで精一杯…自分とカレンの間には新郎と新婦が着席しているわけですから、
カレンのことは少し見えにくい状態だったんです。
結婚式も終わり、新郎新婦が新婚旅行からも戻ったある日、
挙式の記念写真と新婚旅行のお土産を持って自宅に遊びに来てくれました。
そして、記念撮影を見てびっくり。
カレン、拳を握ってひざの上にデンと置き、足はまっすぐそろえて写っているではありませんか。
いろいろと周りを観察して出した結論は、自分と同じようにしておけば大丈夫って思ったんですよね。
おっとっと・・・・・。もうびっくりでしたが、そのカップルにも我々夫婦にも忘れられない素敵な思い出になりました。
それと同時にカレンがそれだけ真剣に日々の生活で周りを観察しながら、自分が恥ずかしい思いをしないように、
そして、福山の嫁として、また自分の奥さんとしての振る舞いに気を使ってくれていたんだなぁ・・・という証拠写真にもなったわけです。

こうしてカレンは毎日の生活の中で、
自分である以上に、福山の嫁であり、自分の奥さんであるという振る舞いに気を使わなくてはならなかったんですね。
そうして、何年も生活しているうちに、その振る舞いこそがカレン自身になってきたのでしょう。
アイデンティティーを大切にする西洋人の中で、つらい思い、そして、一番近しい自分にさえも言えないことって
いっぱいあったと思います。
それでも新婚生活から日々をすごしながら、カレン自身がこの国と文化に近づこうと必死に努力を続けた経験こそが、
今のカレンを支えて、そして、福山家、そして、自分の生活をスムーズにさせてくれているのです。
カレンの毎日の努力にひたすら感謝をし続ける自分です。
愛情があってこそできることなんですよね。
カレンにとっては、苦労しか思い出せない新婚生活だったのかもしれません。
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カレンのママからのカード [Diary]

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英国は現在、郵便事情に問題があって、延着が多いのですが、間に合いました!
ありがたいね!
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カレンからの記念日カード [Diary]

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カレンから今朝、頂きましたよ。
中のメッセージは内緒っ!
自分はまだ渡してないのね。仕事を終えてまもなく帰宅するからそれからカードを渡します。
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31回目の結婚記念日 その6 [Diary]

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エッセイ『新しい文化の中での新婚生活』(青年期)

そのときは初めてのことで自分もカレンもかなり緊張していました。
教会で挙式、レストランでの披露宴だったと記憶しています。教会での結婚式が無事に終わり、
写真撮影のときでした。
我々は媒酌人だったので、新郎新婦のそれぞれのサイドに着席させていただきました。
日本人の我々は小学校のときから記念撮影で、最前列の場合、男子は握り拳を作って、
それぞれのひざの上に置くよう習慣づけられています。
女子は手を重ねてひざの上。
自然にそうするものですが、女性も黒留袖の媒酌人だったら扇を右手から左手に渡すものです。
しかしながら洋装のカレン、ハンドバッグを持つわけでもなく、手には何もなかったわけです。
手持ち無沙汰になってしまいます。手をあわせてひざの上、足は少し斜めに揃えておくと写真には美しく写ります。。
しかし、カレンはそんなノウハウを知ることもなく、ただひたすら、誰かの真似をしなくっちゃ・・って、思ったんでしょうね。
最前列の女性は皆さん黒留袖、花嫁さんは勿論、ウエディングドレスですが、手にはブーケを持っています。
何も手に持っていない女性はカレンだけ・・・・。
そこで、カレンは新郎の横に座る旦那である自分を観察したんですね。
自分は握り拳をひざの上に堂々と置き、胸を張って、
黒のディナースーツの上着の後ろをちょっとだけお尻で踏んで襟にたるみが出たり、盛り上がらないように、
自分のことで精一杯…自分とカレンの間には新郎と新婦が着席しているわけですから、
カレンのことは少し見えにくい状態だったんです。
結婚式も終わり、新郎新婦が新婚旅行からも戻ったある日、
挙式の記念写真と新婚旅行のお土産を持って自宅に遊びに来てくれました。
そして、記念撮影を見てびっくり。
カレン、拳を握ってひざの上にデンと置き、足はまっすぐそろえて写っているではありませんか。
いろいろと周りを観察して出した結論は、自分と同じようにしておけば大丈夫って思ったんですよね。
おっとっと・・・・・。もうびっくりでしたが、そのカップルにも我々夫婦にも忘れられない素敵な思い出になりました。
それと同時にカレンがそれだけ真剣に日々の生活で周りを観察しながら、自分が恥ずかしい思いをしないように、
そして、福山の嫁として、また自分の奥さんとしての振る舞いに気を使ってくれていたんだなぁ・・・という証拠写真にもなったわけです。
こうしてカレンは毎日の生活の中で、
自分である以上に、福山の嫁であり、自分の奥さんであるという振る舞いに気を使わなくてはならなかったんですね。
そうして、何年も生活しているうちに、その振る舞いこそがカレン自身になってきたのでしょう。
アイデンティティーを大切にする西洋人の中で、つらい思い、そして、一番近しい自分にさえも言えないことって
いっぱいあったと思います。
それでも新婚生活から日々をすごしながら、カレン自身がこの国と文化に近づこうと必死に努力を続けた経験こそが、
今のカレンを支えて、そして、福山家、そして、自分の生活をスムーズにさせてくれているのです。
カレンの毎日の努力にひたすら感謝をし続ける自分です。
愛情があってこそできることなんですよね。
カレンにとっては、苦労しか思い出せない新婚生活だったのかもしれません。
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31回目の結婚記念日 その5 [Diary]

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エッセイ『★カレン★初めての日本』(青年期)

自分が日本に帰国して一年ほどたったころ、
カレンを日本に招待することになりました。1985年の春のことです。
自分はお仕事でニュージーランドへ出かけていて、
成田に帰る日でした。
その日にあわせて、カレンが日本に到着するようにエアーチケットをアレンジしたんです。
成田で一年数ヶ月ぶりの再開でした。カレンはやせ細っていましたが、とても美しかったです。
日本各地は桜が満開でとても美しい季節でした。
成田にで再会した二人はリムジンバスを待ちながら、いろいろと話しました。
ここで、本来は決まり文句の
Will you marry me?
・・・と、プロポーズをするはずだった・・・。
しかしながら、自分はそれができなかった。
日本人にはかなり難しいと思います。
口から出た言葉は・・・「結婚してくれますか?」という疑問文ではなく
You are going to marry me.
「君は僕と結婚するんだ!」という肯定文だったんです。
カレンに答えの選択権をまったく与えなかったわけですね。
もちろん、日本サイドからカレンを招待して、
彼女がが日本に来てくれるということは、勿論、プロポーズされることはわかっていただろうし、
答えを出してから来日してくれたと思っていましたから、
当然のごとく肯定文で結婚を断言してしまった自分だったのです。
しかし・・・それが向こう10年間、来る日も来る日も「私はプロポーズされてない!!」と、
言われ続けるとは、夢にも思っていませんでした。
二人で、日本の両親にいずれ結婚を考えているんだということを明確にするための作戦会議を開きながら、
リムジンバスから新幹線に乗り継いで名古屋に向かったのです。

名古屋についたら、
両親が名古屋駅まで迎えに来てくれていました。
ここで、世にも不思議なことを目にしたのです。
カレンは英国出発前に勉強した日本語の「はじめまして。」という挨拶。
そして、父はHow do you do?な~~んて、英語が出ちゃったりして。。。
それが妙に可笑しくって、自分は笑いが止まりませんでした。
勿論、母は日本語がまったくわからないカレンに向かって必死で日本語で話しかけていました。
日本語がわからないカレンにとって、いくらゆっくり話そうが、大きな声で話そうが、
わからないものはわからないのです。
そのことに母は気がついていなかったようです。
母らしいといえば母らしいのですが・・・・。
これだけで、十分に自分のお腹はよじれそうなほどに笑いが止まらなかったのですが、
次の父の一言がもうたまらなかったです。
「荷物持ちますよ。」だってさ。ヾ(@゚▽゚@)ノ ぎゃはは・・・・・ヾ(@゚▽゚@)ノ
いつも買い物に出かけても母に荷物を持たせる父が、
なんだか英国のお嬢様にはめちゃくちゃやさしい。
そのときの母の開いた口が忘れられません。
こうして、カレンの二週間の日本滞在が始まったわけです。
この時点では結婚がこの先いつごろになるのかはまったく予想もつきませんでしたが、
将来、お互いに結婚を意識して付き合っていることを、明確にできたのは事実ですね。
短い期間に、北海道の姉や義兄の★健兄★にもカレンに会ってほしかった、、、と言うよりは、
父が「北海道にも家族が居るんだからカレンと一緒に行って来い!ということで、
北海道にも出かけました。
そして、日本の春、、、もっともすばらしかったのは、名古屋城の満開の桜とカレン。
とても似合っていました。
二人で桜のじゅうたん、そして桜ふぶきのなかを散策したあの時間は結婚してからも、
桜を見るたびに思い出します。
あっという間に日本での時間は過ぎてしまい、最後の晩餐。
カレンから日本の両親にいつか結婚したいということを、日本語で伝えてくれました。
結婚までの大切なステップだったと思います。
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31回目の結婚記念日 その4 [Diary]

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エッセイ『父にびっくり』(青年期)

英国での4年間の留学を経て、一人日本に帰国した自分、当然のことながら無職。
なんだか退屈で、時間を持て余す日々が続いていました。
帰国してリサイタルを開催し、若干のティーチングが唯一の収入源。
実家で両親とともに生活していたので、家賃も食費もかからず、
それなりに平和ではあったものの、
あんまり充実している毎日とはいえなかったようです。
そのころ・・・日本の経済はバブルの終わりがけ・・・・・
自分の母親がお友達とヨーロッパへ観光に出かけていたある日、
父のほうから話しかけてきました。
まず、そんなことも珍しかったんだけど、
父の話というのが、

父親:「英国に残してきた彼女は元気にしてるのか?」・・・・・・・

はぁ~~☆??・・・・
父からそんな話が持ち出されるとは思っていなかったので、とてもびっくりしてしまいました。

自分:「元気みたいだよ。」
父親:「お前、どうするんだ??このまま彼女をどうするんだ?」
自分:「だって、収入もないし、どうしようもないじゃん。」
父親:「俺だったら、すぐにでも迎えにいくなぁ。」
自分:「はぁ~~~??」
父親:「いつまでって、期限もなく彼女を待たせるわけにはいかんだろ?」
自分:「そりゃ、そうだけど・・・」
自分:「手ぶらじゃいけないジャン。」
父親:「指輪もっていきゃいいだろ!」
自分:「はぁ~~??」

父の一言一言があまりにもそれまでの父とはミスマッチで、
実際に父がこんなことを言っているのかって、
自分の耳を疑いたくなるほど、不自然だったことを思い出します。
まず、母が居なかったこと(ヨーロッパ旅行中)って言うのは、
父にとってとても好都合だったのでしょう。
そうなると話は早いんですね。
母が帰国する前に、英国へのエアーチケットを購入して、
カレンの誕生石アメジストで指輪をオーダー。
母が帰国するのと入れ替わりに、自分は英国へ飛びました。
母と顔をあわす時間が長かったら、母の意見をいっぱい聞かなくてはならないし、
そうなると、ことがスムースに運ばないという父の配慮・・??があったように思います。
母は何も知らずに帰国し、
帰国したら息子は英国に婚約のために旅立っていったわけですから、
母としてはあんまり面白くないお話でしょう。
父は自分が英国に出かけている間に母を説得する自信があったのかどうかは定かではありませんが、
帰国したときに、ちょっとだけ憮然とした母の表情から察すると、父は何も多くを語らなかったのだと思います。
でも、父の一言がなかったら、結婚できていなかったかも・・・

感謝してますよ。・・・父さん
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トゥレブル・クレフ演奏会のお知らせ [Information]

トゥレブル・クレフ演奏会

第31回 トゥレブルクレフ演奏会 大阪公演
2017年6月17日(土)午後2時30分開演
江戸堀コダマビル・レッスンホール(大阪・肥後橋)
主催:トゥレブル・クレフ
後援:まっとらんど たいようサウンドファーム
入場料:2000円

第32回 トゥレブルクレフ演奏会 札幌公演
2017年7月7日(金)午後7時開演
渡辺淳一文学館(札幌・中島公園)
主催:トゥレブル・クレフ
後援:まっとらんど たいようサウンドファーム
入場料:2000円

第33回 トゥレブルクレフ演奏会 名古屋公演
2017年9月28日(金)午後7時開演
HITOMIホール(名古屋・千種)
主催:トゥレブル・クレフ
後援:まっとらんど たいようサウンドファーム
入場料:2000円

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素敵な音楽仲間との演奏会です。皆様のご来場をお待ちいたしております。
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31回目の結婚記念日 その3 [Diary]

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エッセイ『恋する女性』

恋をすると女性は美しくなります。
とてもボーイッシュな女性だったカレンですが、
お付き合いを始めて半年ほどたったころ、夏休みに入りました。
当然のことながら自分は夏休みの殆どを自宅のあるロンドンやパリでのバカンス、
ヨーロッパ、英国国内の音楽祭やコンクールなどで過ごすわけですが、
カレンは実家のあるヨークシャーブラッドフォード市に帰省します。
1983年の夏はカレンはどうしてもアルバイトがしたかった。
それは洋服が欲しかったし、化粧品も欲しかったし、アクセサリーもほしかった。
そのために4週間以上の夏休みを銀行で働いて過ごしたのです。
その間、自分はロンドンで遊びほうけて、パリでのバカンスや、
コンクールでヨーロッパを飛び回ったりと忙しくもリラックスした日々を送っていました。
そして、9月になり、カレンがロンドンに戻ってきたと言うので、
連絡を取って、サウスケンジントンの地下鉄のプラットフォームで待ち合わせをしてデートの約束をしました。
そうしたら、、、、
待ち合わせの時間になってもカレンが来ない。
プラットフォームを行ったりきたりする自分。
それでもカレンはなかなか来ないんですよ。
基本的にカレンは今でも仕事のお約束の30分以上前には必ず現地に出かける人で、
遅刻と言うことは絶対にないのです。
『おかしいなぁ・・・』・・・と思いながら、
もう一度プラットフォームを探し回りました。
そうしたら、いるじゃないですか。美しい女性が、、、、。
カレンはロング・タイトスカートにハイヒール、素敵なブラウスにレインコートといったいでたちで、
自分が何度もカレンの前を通り過ぎるのを見ていたそうです。
いつになったら気がつくか・・・って・・・。
気がつくはずがないですよ。
だって、カレンは夏休み前から10キロ以上も痩せちゃって、
ジーンズにトレーナー姿しか殆ど見たことがなかったのに、
御化粧をばっちりしてどこのお嬢様かと思うような姿、、、。
気がつくはずがない。これは本当に驚きました。
カレンが本当はこんなにも美しい女の子だったなんて、、自分は知らなかったのです。
そして、二人で食事をしてパブで一杯飲んでから、その日は帰りました。
前にも述べたように、自分とカレンは1983年のバレンタインにお付き合いが始まったわけですが、
そのことは学校中でも周知の事実。
学生は勿論、事務の皆さんから教授たち、校長まで誰もが知っていました。
自分は一応、成績もそれなりで学校でも試験の成績発表の時にはいつもトップクラスを維持していましたし、
コンペでも成績を残していました。
カレンのほうは学校のオーケストラでパーカッションを担当し重要な打楽器奏者として活躍していました。
ですから、誰もが知ってるカップルだったのです。
それが、9月になって『あの二人はわかれたらしい。』と言う噂が学校中に流れて、
自分の耳に入ってきたのは10月になってからのことでした。
『はぁ~~~??』自分は驚いてしまいました。
それもそのはず、学校中がカレンの変身ぶりに気がつかなかったのです。
自分がほかの女性に乗り換えたって言う噂だったのです。
それほどカレンの変身振りはすごかったんですよ。
なんとなく田舎くささの残るボーイッシュな女の子が夏休みの期間に、
本当に変身して学校に現れたときには全く見違えるほどになっていたと言うことですね。
自分が地下鉄の駅で気がつかずにカレンの前を通り過ぎるのも、
仕方がないほどの変身振りだったのです。
『恋』は女性を美しく変身させます。
それに比べて、男性は全く成長しないものなのかもしれませんね。。。
自分は夏休み中、何をしていただろう・・???
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31回目の結婚記念日 その2 [Diary]

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エッセイ『恋愛スタート』(青年期)

カレンはとても真面目な学生でした。英国の音楽院生は自宅に楽器を保有する学生もいれば、
練習は大きな音がするものですから、早朝、学校に来て練習する学生もたくさんいます。
音楽院の朝は学生の行列からはじまります。
自分は留学時代も自宅にピアノを置いていたので、
『朝の学校』を知ったのは大学院に入学して数ヶ月たってからでした。
院生の自分のレッスンはいつも夕方でしたから、
朝から学校に出かける必要は全くなかったのです。
それでもカレンが早朝から学校で練習していると言う話を聞いたので、
早朝に学校へ行ってみたら、本当に長い列が学校の正門前に出来上がっていたのです。
学生たちは限られた練習室を朝から並んで予約し、授業が始まる前から練習をするのです。
レッスン室も授業前は学生たちに解放されますので、
良い楽器で練習するためにはできるだけ早く学校に到着して、
自分の好きなレッスン室、練習室を予約することになるわけです。
運がいいとスタンやベーゼンで練習できるわけですから。
自分は練習に出かけるわけでは無く、カレンに会う為だけに早朝に学校に通うようになりました。
『朝の学校』の行列では、カレンはいつも一番手か二番手にならんでいます。
そして朝から練習を始めるわけです。
自分はカレンに会うのが目的ですから、練習室の予約をするわけでもなく、
カレンに付きまとい、カレンが練習室を予約すると、カレンの部屋に入り込み、
練習中はグランドピアノの下にもぐりこみお昼ねタイム!!
練習の邪魔をしてはいけませんからね・・・・。
でも、カレンが間違えるたびに目が覚めてしまうんですね。
ほかの人の練習を聞きながら睡眠をとるのはかなり難しいものです。
ただ、カレンのそばに居たかっただけなんでしょうね。
カレンにとってはかなり迷惑なお話だったことでしょう。
しかし、カレンも文句を言うことも無く、練習室に入れてくれたのですから、
まんざらでもなかったのだと信じています。
院生の自分のレッスンは夕方6時からでした。
レッスンは一時間を予定されているのですが、一時間で終わったことは一度もありません。
2時間以上のレッスンは当たり前でした。
自分の恩師アントニー・リンゼイ教授はかなり自分に入れ込んでくれていたので、
その日の最後のレッスンに自分を入れれば学校が終わる9時までレッスンは延長可能なわけですから。
こんなうれしい話はありませんが、3時間もレッスンされると、指は引きつり体力も限界に達してくるものです。
しかし、レッスンが終わって部屋から出てくるといつもカレンの笑顔が待っててくれたのです。
そして、教授やカレン、そしてほかの音楽院の学生達と共に音楽院近くのパブに出かけると言うのが
レッスン日の日課でした。
このようにしてカレンに接近していった自分です。
友達としてカレンと自分はお互いに近しい存在となっていきましたが、
友達関係の枠を抜け出すことは当分ありませんでした。
二人の恋愛、そして恋人関係がスタートしたのは
トゥリニティー音楽院学生会主催のバレンタインのディスコパーティーでのことです。
数日前よりカレンは体調を壊していて、当日参加できるかどうかわからないといっていましたが、
バレンタインパーティーは当然2月14日に開催されます。
2月14日は自分の誕生日。
音楽院主催のディスコパーティーはロンドン市内のディスコを借り切って開催されます。
自分はこの日にカレンに『告白』することをもうすでに決めていました。
だから、どうしてもカレンに参加してもらわないと、自分の計画はすべて流れてしまうわけです。
当日、カレンは本当に体調が悪そうでしたが、
自分に誕生日プレゼントを渡すためにわざわざ学校に来てくれました。
学校でカレンに何度も何度も絶対に夜のパーティーに参加するように誘いました。
しかし、返事は『わからない。』としか言ってくれませんでした。
それだけ体調も悪かったのでしょうが、、、、。
そして、夜7時半にディスコパーティーが始まり、自分はいそいそと出かけていきました。
8時になってもカレンは現れない。そして8時半ころ、友達に付き添われてカレンが会場に現れてくれました。
当然、カレンの友達もみんなこの日に何かがカレンに起こることは当然予測していて、
カレンを連れてきてくれたようです。うれしかったなぁ。
そして、体調が芳しくないのにカレンは自分と一緒に踊ってくれました。
そして、自分が『友達としてだけではなく、恋人としておつきあいしてくれないかなぁ??』と、
真剣に『告白』してみたのです。
その答えは『考えさせて!』というものでした。
どひゃ~~っ!
自分としてはすんなり事が運ぶと思っていたものですから、かなり凹んでしまいました。
えっ!!うそっ!!
しかし、ここで引き下がるわけにもいかず、
普段の会話を続けながら、流れるディスコミュージックに身体と心を任せていました。
夜も11時になるとディスコパーティーも終わりに近づきます。
そこでDJはお決まりのスローなチークを流してくれるのです。
ここでもう一度『僕と恋人として、つきあってくれないかなぁ?』と切り出してみました。
・・・と言うのも断られたまま、というか、はっきりしないまま帰宅して
眠りに就くことができる自信がなかったので、
その日のうちになんとしてもカレンからいい返事を聞きたかった。。。
という自分のエゴだったのかもしれません。
カレンは無言のままでした。
そして、流れるスロー・チークも終わりに近づいたとき、
お互いの腰に手を当てたままチークを踊っていた二人ですが、
カレンが目を瞑って自分のほうを見上げてくれたのです。
(ちょっとだけ自分のほうが背が高いのですぅ。)
そして、自分はそぉ~~っとカレンにキスをしたのです。
そのキスをカレンは受けてくれました。
カレンの返事・・・・・・・・・・・・なんて素敵なんでしょう。
こうして1983年2月14日、
25歳の誕生日にカレンと恋人としてお付き合いをはじめることになったのです。 いきました。
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31回目の結婚記念日 その1 [Diary]

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エッセイ『★カレン★との出会い』(青年期)

トゥリニティー音楽院に入学して音楽院の大学生活にもなれたころ、
自分は院生と言うこともあって、音楽院には毎日顔を出す必要はなかったのです。
日課としては練習・・そして練習、そして練習・・・。
しかしながら、それではあまりにも退屈な毎日、
自分は必要のなのに音楽院に通っていました。
自宅にも練習用のピアノはあったのですが、
音楽院の雰囲気が好きだったのか、
家に閉じこもることができなかっただけなのか良くわかりませんが、
音楽院には本当に良く通いました。
このトゥリニティー音楽院、
自分の性格には非常にあっていたのかもしれません。
立地条件はベーカーストリートとボンドストリートの地下鉄の駅に非常に近く、
ロンドンで2番目に大きなセルフリッジというデパートも歩いて数分のところでした。
オックスフォードストリート、サウスモルトンストリートなど、
繁華街があまりにも近いので
ロンドンの風を本当に肌で感じることのできる環境に音楽院が建っていたのです。
(現在では引っ越してしまい、自分が通った音楽院は当時のところにはありません。)
ここで一生の伴侶、カレンに出合ったのです。
カレンはピアノを専攻している学生でしたが、
打楽器奏者としての地位は学内でも超一流でした。
打楽器専科の学生たちよりも副科打楽器奏者であるはずのカレンのほうが
技術的にもコンダクターや先生方に認められていて、
音楽院オーケストラでの公演においても、
カレンが首席打楽器奏者だったこともしばしばありました。
カレンはいつもトレーナーにジーンズといういでたち。
そしていつも何十本と言う数のドラム、ティンパニー、マリンバなどのばちを持って、
音楽院内を走り回る元気な女の子でした。
その元気の良さ・・信じられないほどです。
そして、非常にボーイッシュで髪もショートカットのかわいらしい女の子でした。
そんなカレンに自分は魅かれていきました。
ヨーロッパの文化の中ではお見合いと言う習慣はありません。
勿論、『親の決めた婚姻』と言う風習はありますけれど、、、、、、、。
日本にいたころ、自分は女の子にもてた経験がなかったんですよ。
だって、太目だし、背もさほど高いわけでもないし、
高校時代は男子校に通っていたので女の子に出会うチャンスもあまりなかったですしね。
しかし、自分もさすがに英国まで留学してピアノを勉強しようとしていたわけですから、
かなり切羽詰ったものがあり、本当に良く勉強しました。
練習も人目につかないところで必死になってやっていました。
自分で言うのもおかしなものですが、成績はいつもトップレベルでした。
そうなると、お見合いの習慣がないヨーロッパでは学内で優秀な男子生徒はもてるんですよ。
こんな自分でも、ちゃんと女の子たちがいつも回りで騒ぎ立ててくれていました。
一生に一度きりの「もてた経験」ですね。
カレンちゃんはその自分の取り巻きの女の子集団の後ろのほうから、
自分をいつも見ていてくれました。
しかし、その輪の中に入ってくることは一度たりともなかったのです。
そうなると、男は追いかけてしまうんですよね。
『こんなにももててる俺なのに、なぜ、君は僕のほうへよってきてくれないんだ?』と、自分は思いましたね。
それで、彼女のほうへと自分が近づいていったのです。そして、すばらしい恋愛へとつながっていきました。
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主の祈り [花(薔薇など)]

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天にまします我らの父よ
願わくは
み名の尊まれんことを
み国の来たらんことを
み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを
我らの日用の糧を今日我らに与え給え
我らが人に許す如く我らの罪を許し給え
我らを試みに引き給わざれ
我らを悪より救い給え
アーメン


Our Father, who art in heaven,
hallowed be thy name;
thy kingdom come;
thy will be done,
in earth as it is in heaven.
Give us this day our daily bread.
And forgive us our trespasses,
as we forgive them that trespass against us.
And lead us not into temptation;
but deliver us from evil.
For thine is the kingdom,
the power, and the glory,
for ever and ever.
Amen.
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今朝の血圧 [Diary]

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まっとらんどオルゴールの世界 ♪~今日の一曲~♪ [オルゴール]

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♪~~~~~♪~~~~~♪~~~~~♪~~~~~♪~~~~~♪

西部のインディアン Op.3
http://www.mattland.net/midi/original1/matt03.mid

♪~~~~~♪~~~~~♪~~~~~♪~~~~~♪~~~~~♪

まっとらんどオルゴール館
http://takashi-fukuyama.blog.so-net.ne.jp/2011-03-31-1
オリジナルオルゴールMIDI
(古いデータなのでMIDIで作成されています。)

お時間がございましたら、ぜひ聴いてみてください。
お寛ぎいただける時間を皆様とともに~~♪
福山 孝
Takashi Matthew Fukuyama BMus ARCM
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本日のつぶやき・・・Twitter 2016/12/28 [今日のTwitter]


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