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エッセイ『はじめてのピアノの先生』(幼少期) [『ぶん★文★ぶん』]

姉が通うピアノの個人レッスンの先生は広田和子先生。女性の先生だったが怖かった。その広田先生に自分も若干、姉に遅れて入門した。本当に怖い先生だった。姉はまじめに練習する生徒、そして、自分は練習しなくても弾けちゃう生徒だった。先生の言われることよりも自分が思うように演奏することが好きだった。いつも、広田先生が『敦子ちゃんは一度注意したらそこを一週間でなおしてくるのだけど、孝君はいつまでたってもなおらない。』と母親にぼやいていたのを自分はしっかり母の足元で聞いていた。でも、それだからといってその次になおしてこようとは思わなかった。なぜならば、自分は自分の音楽のほうが先生の言う音楽よりも正しいと勝手に理解していたから。勿論、面倒くさいという付随する理由もあったのはいなめない。少なくともピアノを弾くことが楽しくて仕方なかったのは事実である。先生に指導されているというよりは、好き勝手に自分のやり方で弾いていたし、それが本当に楽しかった。広田先生ごめんなさい。
もう、この時点で、『ピアノを弾くこと=楽しい』という方程式は自分の中で確立されていたように思う。当時まだ4歳になったばかりだった。
そして、レッスン場の移転、水曜日に父が早めに帰宅し迎えに来る。そして、父の車でレッスンに向かう。自分のレッスンのあいだ、父は何をしていたのかわからないが、レッスンが終わると迎えに来る。姉は小学校の低学年で『私は頼んでピアノを習わせてもらってるわけではない。』と言い放って、さっさとピアノに見切りをつけた。しかし、自分は続けていた。
星が丘から平針に引っ越しても、父の送迎でピアノレッスンを続けた。しかしながら、広田先生は岐阜から名古屋までレッスンに出て見えていたので、ある日、先生が辞められることになった。
それで、広田先生のレッスンは終わるわけだが、広田先生の言うことは、あまり守らなかったものの、先生から基礎の基礎をしっかりと身につけさせて頂いたのは事実だと思う。
すばらしい師匠だった。
ただひとつだけ、子供心に不思議に思ったことがある。レッスンに通い始めたころは広田和子先生だったが、やめるころには佐藤和子先生に代わっていた。同じ人物なのに・・・。今だったら『バツイチ』というのも、ある意味ステータスのようなものがあるが、当初はあまりよくわからなかった。幼少★まっと★にとっては不思議な出来事だったことを鮮明に覚えている。
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