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31回目の結婚記念日 その5 [Diary]

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エッセイ『★カレン★初めての日本』(青年期)

自分が日本に帰国して一年ほどたったころ、
カレンを日本に招待することになりました。1985年の春のことです。
自分はお仕事でニュージーランドへ出かけていて、
成田に帰る日でした。
その日にあわせて、カレンが日本に到着するようにエアーチケットをアレンジしたんです。
成田で一年数ヶ月ぶりの再開でした。カレンはやせ細っていましたが、とても美しかったです。
日本各地は桜が満開でとても美しい季節でした。
成田にで再会した二人はリムジンバスを待ちながら、いろいろと話しました。
ここで、本来は決まり文句の
Will you marry me?
・・・と、プロポーズをするはずだった・・・。
しかしながら、自分はそれができなかった。
日本人にはかなり難しいと思います。
口から出た言葉は・・・「結婚してくれますか?」という疑問文ではなく
You are going to marry me.
「君は僕と結婚するんだ!」という肯定文だったんです。
カレンに答えの選択権をまったく与えなかったわけですね。
もちろん、日本サイドからカレンを招待して、
彼女がが日本に来てくれるということは、勿論、プロポーズされることはわかっていただろうし、
答えを出してから来日してくれたと思っていましたから、
当然のごとく肯定文で結婚を断言してしまった自分だったのです。
しかし・・・それが向こう10年間、来る日も来る日も「私はプロポーズされてない!!」と、
言われ続けるとは、夢にも思っていませんでした。
二人で、日本の両親にいずれ結婚を考えているんだということを明確にするための作戦会議を開きながら、
リムジンバスから新幹線に乗り継いで名古屋に向かったのです。

名古屋についたら、
両親が名古屋駅まで迎えに来てくれていました。
ここで、世にも不思議なことを目にしたのです。
カレンは英国出発前に勉強した日本語の「はじめまして。」という挨拶。
そして、父はHow do you do?な~~んて、英語が出ちゃったりして。。。
それが妙に可笑しくって、自分は笑いが止まりませんでした。
勿論、母は日本語がまったくわからないカレンに向かって必死で日本語で話しかけていました。
日本語がわからないカレンにとって、いくらゆっくり話そうが、大きな声で話そうが、
わからないものはわからないのです。
そのことに母は気がついていなかったようです。
母らしいといえば母らしいのですが・・・・。
これだけで、十分に自分のお腹はよじれそうなほどに笑いが止まらなかったのですが、
次の父の一言がもうたまらなかったです。
「荷物持ちますよ。」だってさ。ヾ(@゚▽゚@)ノ ぎゃはは・・・・・ヾ(@゚▽゚@)ノ
いつも買い物に出かけても母に荷物を持たせる父が、
なんだか英国のお嬢様にはめちゃくちゃやさしい。
そのときの母の開いた口が忘れられません。
こうして、カレンの二週間の日本滞在が始まったわけです。
この時点では結婚がこの先いつごろになるのかはまったく予想もつきませんでしたが、
将来、お互いに結婚を意識して付き合っていることを、明確にできたのは事実ですね。
短い期間に、北海道の姉や義兄の★健兄★にもカレンに会ってほしかった、、、と言うよりは、
父が「北海道にも家族が居るんだからカレンと一緒に行って来い!ということで、
北海道にも出かけました。
そして、日本の春、、、もっともすばらしかったのは、名古屋城の満開の桜とカレン。
とても似合っていました。
二人で桜のじゅうたん、そして桜ふぶきのなかを散策したあの時間は結婚してからも、
桜を見るたびに思い出します。
あっという間に日本での時間は過ぎてしまい、最後の晩餐。
カレンから日本の両親にいつか結婚したいということを、日本語で伝えてくれました。
結婚までの大切なステップだったと思います。
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