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Chinto物語 その6 [Chinto物語]

■ヒヤチント物語 (NO.6)
昭和22年憧れの旧制第三高等学校に入学し,白線3本の帽子とマント姿の三高生となり、希望に満たされた毎日を送ることが出来ました。いろいろな方にも巡り合うことができ、ある意味で、私の人生の変換期であったと思います。富沢神父様との出会い、公教要理の勉強、洗礼の秘蹟の受洗。マレット神父様との出会い、マリアの家の生活、どれをとっても私にとっては、懐かしい貴重な体験でした。霊名のヒヤチントについてお話し致しましょう。横文字でHyacinthと書く、8月17日(私の誕生日)の聖人です。アメリカ読みにするとハイアシンスとなるのですが、マリアの家では、すべてクリスチャンネームで呼び合い、信者の者は霊名で、信者でない人は、マレット神父様が一々クリスチャンネームをつけて呼んでいました。私のことを、始めは神父様もハイアシンスと呼んでいたのですが、発音しにくいのかそれとも親しみを込めてなのかはよくわかりませんが、いつの間にか、チントと皆が呼ぶようになりました.香りの良い球根の花ヒヤシンスもHyacinnthと書きます.ハイアシンス、ヒヤシンス、ヒヤチント、チントと呼び名はいろいろですが、すべて私のことなのです。昭和25年,三高を卒業して、次は、大学です。当時、最も難関だった(今も)東京大学医学部を受験して見事不合格.カトリックの勉強の所為にはしたくありません。実力不足でした。 一年間、五島で浪人生活をおくりました。陸士など横道を沢山歩いて、年齢的にもこれ以上遅れるわけにも行かず、医者になることは諦めて、確実に合格できるようにしようと考えました.いろいろ調べた所、京都大学農学部農林生物学科の実験遺伝学教室に、当時、小麦の研究で世界的にも有名で、ノーベル賞候補とも言われていた木原 均教授(理学博士)がいらっしゃる事を知り、よし!決定。受験して木原先生の門下生となることが出来ました。今回はここまでにして、大学生活と卒業後どうして名古屋にきたのかは次回の楽しみとさせていただきます。


■★まっと★のコメント
ここで東大受験失敗のお話、とてもうれしいです。なんだか『完璧』なはずの父がそうでもないのかな・・??という、ちょっとした安堵感が感じられます。チントという名前のなりたち、東大医学部(父・徹は血を見ると卒倒します。)のお話、そして京都大学入学のお話。どれも父の口からは初めて耳にすることだったりしますが、本当に興味深い話です。

nice!(5)  コメント(6) 
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ちゃーちゃん

あ凄い大学をを受験されているのですネ。
次回を楽しみにしていますね・・・
by ちゃーちゃん (2009-03-28 13:04) 

★まっと★

ちゃーちゃん(●⌒∇⌒●)
毎日一話ずつです。五十話ありますので、5月中ごろに全編終了予定です。
by ★まっと★ (2009-03-28 19:08) 

KOZOU

霊名の由来興味深いですね。
まっとさんも霊名からきているのですね。
お父さんほんとにがんばられたと思います。
木村均先生、有名ですよね。
輝く青春ですね。
血を見ると卒倒されるのでは医学部でない方がよかったかもですね(*^_^*)
by KOZOU (2009-03-28 20:45) 

★まっと★

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
そうなんです。自分はMatthiasから英語名Matthewとなり短縮されてMattとなります。
よって★まっと★となったわけであります。
父は本当に血を見ることが苦手な人なんです。
by ★まっと★ (2009-03-28 21:36) 

gyaro

風邪をひいてしまいました^^;
季節の変わり目は必ず風邪をひきます。。。(. . )
いくつかの呼び名、興味深く読ませていただきました。
by gyaro (2009-04-01 03:51) 

★まっと★

gyaroさん(●⌒∇⌒●)
父のクリスチャンネームはハイヤシンスですが、そこからどうやってチントとなったのか・・ちょいと不思議に思っています。
まぁ、本人は気に入っているようですが・・・
by ★まっと★ (2009-04-01 07:49) 

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