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Chinto物語 その34 [Chinto物語]

■ヒヤチント物語 (NO.34)
平成4年4月から、天白のスポーツセンターで弓道教室に入りました。毎週土曜の午後が教室のある日で、二ヶ月(8回)で卒業です。教室で習う内容位は、若かりし頃、学んでいたのを思い起こすには大変好都合でした。教室で習う間は、従って優等生でした。教室が終わると、後は道場に通って如何に練習するかに掛かっています。同じ教室にいた十数名の人の中で今も弓を続けているのは私一人だけです。幸い、弓の先生にも恵まれ、良く練習もしました。上滝先生という美人の大先生がいらっしゃって、良く指導して頂きましたが、旦那さんの転勤で、東北の方へ行かれ、その後は、今の天白の会長さん(梅本先生)に指導して頂きました。
まず、弓と矢を購入しなければなりません。弓の強さは?矢の長さは?分からない事だらけでした。しかし、的に向かって矢を放ち、的に当たった時の嬉しさは何とも言えないものです。的に当たったからと言って、喜んでばかりはおれません。そこが弓道の難しさです。弓の引き方が正しくて、狙いも正確ならば、確実に的中します。弓の引き方が悪くても、的に当たる事があるので、一概に、当たったといって喜んではおれないのです。弓道は本当に奥深い武道で、一度はまったら止められないものです。遣り甲斐のある貴重な弓道に出会う事が出来て、心から良かったと思っています。
今の笑顔もここから生まれたのかもしれません。感謝!神に感謝!アーメン


■★まっと★のコメント
弓にせよ、音楽にせよ、やっぱり奥深いものだと思います。それだけに歴史のある『道』なのでしょうね。人間の精神を養い、日々の生活の中に喜びとその努力の実をもたらしてくれるのですね。芸術の世界も同じようですね。ピアノを引き続け、そして、正しいと言うものはないのかもしれないし、正しいものが無限にあるのかもしれないし、ただ、いえることは自分にとって正しい道がひとつしかないと言うことでしょう。それぞれの肉体の環境や考え方、感じ方の違いによりそれぞれの『正しい道』が異なるものなんでしょう。父・徹も退職してから人生のすばらしさや人間としての生き方の存在を実感しているのかもしれません。大正の最後にこの世に生まれ、昭和の戦争を実際に体験し、その戦争のために青春の半分を心から燃焼し、陸軍士官学校での生活、そして終戦。自分の生き方の再発見に尽力し、そして勉学に励み、研究に没頭し、卒業と同時に名古屋と言う新しい土地での社会人生活。そして結婚。二人の子供たちを育て上げるためにひたすら仕事とお酒の日々。人間として金儲けを考え始めたのは子供も育ちあがろうとしたころでした。株にはまって、さぁ大変!余生を豊かに・・と思ったはずが仇となり、投資したものは全てバブルと共に泡となり、お金儲けは性にあわない家族のようです。でも、お金がなくてもお金で買えない笑顔が毎日あるだけで、最高に幸せなのではないでしょうか。ある意味、人生の意味合いを無駄にした青春の日々、そして高度成長と共にわき目も振らず、仕事に生きる全てのエネルギーを燃やし続けた半生を考えると今の父・徹の悠々自適な生活ほど有意義な時間はなかったのではないでしょうか。人生とはどこでどのように交差し、歩む道を発見するかでこんなにも有意義に暮らせるものだと感心しています。今のカレンを見ていると父・徹が歩んだ人生そのものではないかと思うことがあります。報われないかもしれない仕事に没頭し、全ての力で対応するカレンの姿が、父・徹の後姿にあまりにも似すぎているように思えてなりません。『虎の子は虎』とでも言いましょうか、寅年生まれの父・徹と妻・カレン。カレンの人生のこの先にはきっと満面の笑顔が待っていることも事実なのでしょう。

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