モーツァルトは大切なレパトワ [『ぶん★文★ぶん』]


明治時代に西洋音楽が日本に入り込みそれが定着する過程において、バッハからモーツァルトあたりの年代までの作品は、特にドイツものに関しては、かっちり拍子どおりメトロノームにびっちりあうくらいの勢いで演奏されるべきであるといた哲学が日本には植えつけられていたように思う。奏法もドイツ奏法と呼ばれるのかどうかはわからないが、指をきっちり丸く整え肘の力を抜いて・・・・(若干、意味不明)・・・・小指までもがま~るく整えられた基本の指の形にのっとり、ひたすら正確に拍子に合わせて演奏するパターンだろうか。
確かに古いレコードや昔の巨匠の演奏などを振り返るとそういった演奏も少なくない。しかしながら、それがすべてだとは到底思えない。
長いピアニスト人生の中で、自分は学生時代よりこよなく愛したショパンにかなり影響されたと思う。ロマンチックで時に切ない和声の展開にはイチコロである。今でもどうしてもショパンの作品は演奏会のプログラムに組み込みたくなる。しかしながら、そんな自分もモーツァルトに魅了されている。ただ、どうしても華美なモーツァルトというか間であったり、ルバートであったり、若干やりすぎになってしまう気配は多分多くの人が感じられるかもしれない。でも、あまり気にしていない。時に2ちゃんなどでたたかれていたりするのも閲覧する機会があるが、それでも自分のスタイルはこんな感じ・・・って自分のモーツァルトを貫き通したい。基本的に誰にでも悪く言われない演奏はとてもすばらしいかもしれないが、十人十色でも良いのでは・・などと自己弁護しよう。
ロマンチックすぎる自分のモーツァルト。。。。とても気に入っている。
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