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モーツァルトは大切なレパトワ [『ぶん★文★ぶん』]

machion 087

 40代くらいの頃だろうか。コンサートのプログラムにモーツァルトの作品を組み込むことが増えてきた。小さい頃からピアノを学習していた自分にとって、モーツァルトのソナタなどは練習の過程でこなすものだと知らないうちに理解していたような気がする。しかし、それは大きな間違いで、年齢とともにモーツァルトを演奏することがとても楽しく感じられるようになってきた。テクニックのmんでは過激に難所が多いわけでも無いのだが、ツェルニやクラマーのように次の音が予想できるかのような音運びではあるものの、その中にあふれる音楽性はたまらなくかわいく、お茶目な部分があり音の遊戯が感じられる。やさしい運指や音運びの中に哀愁や悲哀、喜びや怒りなどがものの見事に表現されている。

 明治時代に西洋音楽が日本に入り込みそれが定着する過程において、バッハからモーツァルトあたりの年代までの作品は、特にドイツものに関しては、かっちり拍子どおりメトロノームにびっちりあうくらいの勢いで演奏されるべきであるといた哲学が日本には植えつけられていたように思う。奏法もドイツ奏法と呼ばれるのかどうかはわからないが、指をきっちり丸く整え肘の力を抜いて・・・・(若干、意味不明)・・・・小指までもがま~るく整えられた基本の指の形にのっとり、ひたすら正確に拍子に合わせて演奏するパターンだろうか。
確かに古いレコードや昔の巨匠の演奏などを振り返るとそういった演奏も少なくない。しかしながら、それがすべてだとは到底思えない。

長いピアニスト人生の中で、自分は学生時代よりこよなく愛したショパンにかなり影響されたと思う。ロマンチックで時に切ない和声の展開にはイチコロである。今でもどうしてもショパンの作品は演奏会のプログラムに組み込みたくなる。しかしながら、そんな自分もモーツァルトに魅了されている。ただ、どうしても華美なモーツァルトというか間であったり、ルバートであったり、若干やりすぎになってしまう気配は多分多くの人が感じられるかもしれない。でも、あまり気にしていない。時に2ちゃんなどでたたかれていたりするのも閲覧する機会があるが、それでも自分のスタイルはこんな感じ・・・って自分のモーツァルトを貫き通したい。基本的に誰にでも悪く言われない演奏はとてもすばらしいかもしれないが、十人十色でも良いのでは・・などと自己弁護しよう。

ロマンチックすぎる自分のモーツァルト。。。。とても気に入っている。




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