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エッセイ『息子のような大親友★ちゃかえ★の死』 [『ぶん★文★ぶん』]

自分の半世紀以上に及ぶ人生の中でもっとも悲しかった出来事を綴ったお話です。
この記事はたたみ込みにします。

2005年11月26日~2007年11月29日に書いた記事なんですが、
あまりにも悲しく読み返すたびに涙が出て仕方ありません。
(注 : とても長いです。お時間のあるときに本編におすすみください。)


03.jpg今年(2005年)になり、★ちゃかえ★がいつも咳をしているので、とても心配で、病院に行ってドクターに診てもらったほうが良いよって何度も言いました。
★ちゃかえ★の仕事は空輸関係の仕事で、海外出張も多く、
今年に入ってからは中部国際空港への事務所の移転などで本当に忙しくしていました。
空港が開港して、通勤が大変になったので、名古屋市内のマンションに一人暮らしを始めたのが3月。
そして、空港勤務して3日目のことでした。
高熱とともに、会社にもいけないということで、病院に行ったようです。
最初はマンション近くの内科のドクターに見てもらい、レントゲンの結果、肺炎と診断され、
★ちゃかえ★の実家近くの総合病院に紹介状を書いていただきました。
そして、総合病院で診察を受けた日から入院。
それから2ヶ月を地元の病院で過ごしました。
自分はは毎日彼の病院に顔を出しに行きました。
たとえ10分でも顔を見に行きました。
最近の病院って、タバコがすえないので
外の喫煙所まで一緒に散歩がてらあるいたり、院内の喫茶室でお茶したり。
しかし、二ヶ月の間に様態がどんどんと悪化。
ひどい高熱と頭痛を訴えるようになり、それでも、薬で熱がおさまると、タバコを吸いたいといいだし、
5回の病室から一回玄関外の喫煙所まで行くというんです。
しかし、実際問題、もう院内の廊下を歩いたり、
エレベーターに乗るのも休憩しながらの状態だったんです。
それでもタバコを吸いたいと言う★ちゃかえ★に付き合って、自分も一緒に歩きました。
意地悪なウィルスが脳にまで及んでいたんですね。

そして、毎日会うたびに管が増え、機械につながれ、
見ているだけでもこちらのほうがつらなくなる状態でした。
白血球の数が足りないとの事で、ドクターより国立名古屋病院への転院を進められ、
国立病院に入院したのが5月のことでした。
それからも毎日のように★ちゃかえ★の病院に通いました。
脳のウィルスを追い出すために頭を開いての手術が施されることになりました。
この手術の執刀医は自分の教え子★ゆみちゃん★のご主人だったのも奇遇でなりません。
手術日程が決まるまでにはあまり時間はかかりませんでしたが、
その間、どんどん症状が悪化しているのは見てわかりました。
でも、手術前日にどうしてもパスタが食べたいというのです。
院内のレストランに連れて行きました。
自分はおなかがすいていなかったので、コーヒーのみ。
★ちゃかえ★はぺろっと大盛りのあんかけパスタを平らげました。
いろいろなことを★ちゃかえ★が自分に話しかけるのですが、
食べながら話をするし、『行儀が悪いぞ!』って叱っちゃいました。
そして、実際には呂律が回っていなかったので、
彼が話していることもあまり聞き取れなかったのが事実なのです。
でも、それが彼と一緒に歩いた最後になるとは思ってもみませんでした。

そして手術当日、手術前に病院に駆けつけました。
そうしたら、★ちゃかえ★は自分の顔を見ると痙攣を起こし始めて、
もう、悲しくて。。。。

前日はパスタの大盛りを平らげた★ちゃかえ★が一変して痙攣を起こしながら苦しそうにしていて、、、
★ちゃかえ★のお母様から
「福山さんの顔を見ると喜びすぎて興奮状態に陥り、発作が出てしまうのよ。」といわれました。

翌日、とても恐かったのですが、病院に彼の顔を見に行きました。
★ちゃかえ★は自分のことを『チャカちゃん』って呼ぶんです。
頭に包帯を巻いていたので、とても痛々しそうに見えましたが、
『チャカちゃん、今度カレー食べにいこうね。浅間町の近くに美味しいカレーを出してくれる喫茶店があるんだよ。』って
言うんです。
『いいよ。外出できるようになったら俺の車にのせていってやるよ!』って自分は言いました。
この日はオフだったので自分は新しいショートパンツをはいていたんです。
『★ちゃかえ★、このショートパンツ1500円だったんだよ!』というと、
★ちゃかえ★は『安いジャン!』
これが、奴が話してくれた最後の言葉です。最後の声でした。

そして、翌日、、、、、
★ちゃかえ★はもう話すことも出来なくなっていました。
でも、まだ、意識ははっきりしていました。顔を見ると.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪って笑ってくれたり、
『帰るよ!』っていうと、腕は上がらないのですが、手を振ってくれたり・・・・
このころから放射線治療が始まりました。これから髪が抜けるらしい・・・・
病院に通うたびに、枕に髪が落ちているのがわかりました。
でも、見た目はまだまだ普通の★ちゃかえ★でした。

6月の★トゥレブル・クレフ★の演奏会当日。
なかなか★えりりん★も★ちゃかえ★の顔を見ることが出来なかったので、
リハーサルの途中を抜け出して★えりりん★と一緒に★ちゃかえ★の顔を見に行きました。
★えりりん★の顔を見て.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪って笑った★ちゃかえ★。とてもよい笑顔でした。
これが彼の笑顔を見た最後だったかもしれません。


丁度この頃から自分の夏のツアーが始まり、自分は★ちゃかえ★の病院にも毎日は通えなくなっていました。
そして、彼の御誕生日7月15日。34回目の誕生日です。
★カレン★からのことづけものや★はなちゃん★からのことづけもの、
そして、★ちゃかえ★が大好きなドナルド・ダックのぬいぐるみやかっこいいパジャマなど
両手荷物一杯で持ちきれないほどのプレゼントを抱えて、★ちゃかえ★の顔を見に行きました。
このときはもう意識がオンであったり、オフであったり・・・・。
でも、きっと元気になるって信じていました。
この日、じーーーっと★ちゃかえ★の顔を見ていたら、
★ちゃかえ★のお父様に声をかけられて、お見舞いも控えてほしいといわれました。
確かに自分の都合と勝手な気持だけ、そして自分の思いだけで★ちゃかえ★の顔を毎日見に出かけていたのは、
ご家族にとっては迷惑だったのかもしれません。
また、これから放射線治療で髪の毛もなくなってしまう★ちゃかえ★をお父様は見られたくなかったのかな・・
自分にはわかりません。

お母様が『福山さん、ごめんなさいね。おとうさん、どうしておとうさんあんなことをいったのかしら。
わたしも驚いてしまったわ。』って声をかけてくださいました。
そして病院を後にしたのです。
★ちゃかえ★の34回目の誕生日、2005年7月15日で★ちゃかえ★の顔を見に行くのをやめました。
それから一度も顔を見に行くことをしませんでした。
この日まで★ちゃかえ★の様子は毎日の日記に書き記していましたが、
この日にそれまでの彼に関する過去ログを消去し、
その日以来、★ちゃかえ★のことは★まっとらんど★では一切語らないことにしたのです。

数日後、お母様から電話を頂きました。『栄は少しずつ元気になっているように見えますよ。』とのこと。
それから二回ほどお母様から現状報告のようなお電話を頂戴しましたが、
8月になってからはそんな電話も途絶えました
。ただ、8月に二回(7日、28日)、9月に一回(3日)、
★ちゃかえ★から自分の携帯電話に電話が入りました。無言。

毎回、すぐにかけなおしすのですが、出なかったです。
一回だけ出ました。でも、やはり無言・・
それから二ヶ月ほど、自分は25周年のツアーもあり、
また、秋のシリーズも10月にははじまり、鹿児島、名古屋、東京、札幌と飛び回っていました。
10月31日、★ちゃかえ★から、★まっと★の携帯に空メール。
よく11月1日にももう一通の空メール。

★ちゃかえ★の顔を見なくなって4ヶ月あまり、自分は毎日★ちゃかえ★の携帯に電話をしました。
病院内なので、勿論いつも電源はオフになっているのでしょうね。
でも、留守電につながって一安心。
留守電につながるということは、まだ、携帯電話が生きているということ。
契約が切れていないということ。
即ち、★ちゃかえ★が生きているということ。それがうれしかったです。
別に毎日留守電にメッセージを残すわけではないのですが、
たまに留守電に季節の話やコンサートの報告などを残していました。

そして、11月23日の勤労感謝の日。
『寒くなってきたよ。病室の窓からも冬の空が見えるよね。元気にしてるかな?』ってメッセージを残しました。
この日、不思議なことに、★カレン★と買い物に出かけたのですが、
自分が探していたGパンを求めて★カレン★と車を走らせていました。
気がついたら、★ちゃかえ★の実家の近くに来ていました。
だいたい自分は方向音痴だし、車にはナビも付いていません。
ただ、車を走らせてあっちに行ってみよう、こっちに行ってみよう、、、
そして、たどり着いたのが、★ちゃかえ★の実家の街だったんです。
昨年、★ちゃかえ★がパリから帰国するときに、当時の名古屋空港(県営名古屋空港)に迎えに行き、
★ちゃかえ★と一緒に走った道に出てきたので、
『★カレン★、ここは★ちゃかえ★と一緒に来たことがあるよ!』っていったら、
★カレン★が『そういえば★ちゃかえ★どうしてるんだろうねぇ・・・。
最近はメールや電話あるの?』ってたずねたので、『ここのところないねぇ・・・。』って答えました。
★ちゃかえ★の実家の町のすぐ近くでほしかったGパンを手に入れ、帰宅。
帰宅して★まっとらんど★を開き、レスをしていたら、自宅の電話が鳴りました。
★ちゃかえ★のお母様からでした。
『栄が危篤なんです。福山さん、こんな時間ですが、会いにきてやってくださいますか?』
自分hあくる間に乗り急いで飛んでいきました。
★ちゃかえ★は治療の所為か、髪もなく、眉もなく痰がつまり非常に苦しそうでしたが、
必死で呼吸していました。
イケメンの★ちゃかえ★の変わり果てた姿に驚いたものの、
必死で呼吸する★ちゃかえ★はとっても男らしくかっこよかったです。
意識もほとんどないのでしょうが、自分は★ちゃかえ★に声をかけました。
どこを見ているのかわからないのですが、★ちゃかえ★は目も開いていました。
『栄、目を閉じるなよ。』自分がそういうと、
お母様がそれまで握っていた★ちゃかえ★の手を自分に差し出してくれました。
自分は★ちゃかえ★の手をしっかりと握って、何度も声をかけましたが、握り返してはくれませんでした。
でも、そのとき、★ちゃかえ★がひざを立てたんです。
『ほーら、福山さんだよ、さーちゃん、一番会いたかった福山さんだよ。わかるんだねぇ。やっぱり。。。
福山さんがきてくれてよかったねぇ。。。さーちゃん、ごめんね。さーちゃんに叱られると思ったけど、
福山さんにお願いして来ていただいたんだよ。ごめんね。』って、栄の肩を撫でながらお母様泣き崩れられたのが辛かった。

★ちゃかえ★の調子がいいときにお母様が『そろそろ福山さんにきていただこうか?』って★ちゃかえ★に聞くと、
★ちゃかえ★は横に首を振っていたそうです。
『栄が一番会いたいのは親の私たちではなく、福山さんなんですよ。
でも、もっともっと元気になってから福山さんに自分でメールか電話で連絡するつもりだったんですよ。』って、
お母様がおっしゃいました。
11月23日は勤労感謝の日でFAME★まっとらんど★も休業だったので、自分は★は一日休みでした。
しかし、翌日は自分も朝から看護学校での講義。
★ちゃかえ★のお母様が、『福山さん、ありがとうございました。明日はお仕事ですよね。
どうぞお帰りください。こんな時間にお呼びたてしちゃって、本当にごめんなさいね。』
本当は自分もずっと★ちゃかえ★の側に居てあげたかったのですが、
確かに仕事人間の★ちゃかえ★。きっと自分にも『ちゃんと明日仕事するんだよ!』って言ってるような気もしました。
また、実はこの時点で呼ばれていたのが自分以外は皆さんご親族の方たちだったので、
なんとなくお医者様からの言い渡しがすでにあったのではないかと直感しました。
ご親族のお邪魔を今まで何度も繰り返したのですから、
自分は帰宅することにしました。
『いつでもご連絡ください。』とお母様にお伝えして、自分は病院を後にしました。

翌日、朝から看護学校でのお仕事。ちゃんとこなして、帰宅、そして自宅でのお仕事。

看護学校・・・名古屋の駅の近くにあるんです。朝から頭の中は栄のことで一杯。運転は気をつけていたつもりだし、
もう少しで学校。学校に到着する最後の信号。
信号機の上に街の名前の標識が・・・『さこう』。。。。
漢字では『栄生』と書くんです。
栄が生まれる・・・・・・
前の晩に、栄が死と必死でたたかっている姿と対面したばかりなのに、、、、、、
『栄生』っていう信号機をみただけで自分は涙が出てきちゃったんです。
そして、目を左にそむけたら大きな字で『名鉄 栄生駅』って書いてあるし、
こんな看板見ただけで泣いてるなんて、周りの車の人たちから見たら変ですよね。

午後には★えりりん★が出勤してくれて、★ちゃかえ★のことを伝え、
11月24日の仕事が終わっても、お母様からの連絡はありませんでした。
自分は一日中泣いていたので、非常に疲れていました。
この日はかなり早い時間に床についてしまったんです。
そして明けて11月25日午前5時に目が覚めて、いつものようにパソコンの前に座り、朝のレス。
午前5時57分、電話がなりました。
『池田です。栄が永眠しました。今朝、12時55分のことでした。』
この電話ですべておわりました。悲しくて悲しくて。


親しい仲間たちに連絡をして、自分は仕事の準備。朝から斎場にうかがってもお邪魔になるだけです。
それに、★ちゃかえ★が折角24時間以上がんばって、誰のお仕事にも邪魔にならないように、
スケジュールを自分で作って逝ったのに、ここで仕事を休んで★ちゃかえ★の側に居てあげても、
★ちゃかえ★は喜ばないと思ったので、自分はしっかり身支度をして仕事に出かけました。
ありがたいことに試験監督。口を開き、話をする必要もないので仕事はちゃんとこなすことが出来ました。
まっすぐ自宅に戻り、斎場での通や、葬儀の時間を確認しながら夕方まで自宅で過ごしました。
そして、夕方5時半に通やの会場へ。

★カレン★は仕事でどうしても伺えませんでした。・・・というよりも、
★カレン★は栄が絶対元気になって退院してくると信じていたので、誘っても絶対に病院にも一緒に来なかったんです。
★カレン★は★ちゃかえ★が病気だと認めたくなかったのかもしれません。
斎場に到着すると、すぐにお母様が『栄と会ってやってください。』
栄の顔の横にはベビーミッキーとベビーミニーのぬいぐるみ。
『職場には絶対に復帰したかっただろうと思います。大好きな紺色。新しいスーツとワイシャツ、
そして象さんの柄のネクタイに新しい靴を一緒に御棺に入れてあげたんですよ。』っておっしゃったとき、
自分の顔はもうぐちゃぐちゃでした。
安らかに眠っている★ちゃかえ★。かわいそうでかわいそうで、、、、、、

早い時間に会場に到着したので、約一時間待ち、通やが開式。
★えりりん★が間に合わないとの事で★えりりん★のご主人:★義仁くん★が来てくれました。
通やを終えて、★カレン★のもとに帰宅。

食欲もあまりなかったので、外食で済ませることにしました。
★カレン★と歩いて近所の居酒屋へ。
生ビールを3杯注文。、一杯は自分、一杯は★カレン★そして、もう一杯は★ちゃかえ★。
★ちゃかえ★はビールが大好きだったんです。あまり強くはないし、飲むとすぐに寝ちゃうんですけどね。
三つのグラスで乾杯して★ちゃかえ★にご苦労様って言いました。
2人で★ちゃかえ★との思い出話をたくさんして、2人で居酒屋さんで泣きながらビールを飲みました。
帰宅して、就寝。

f1.jpg2005年11月26日
朝、起きていつものように★まっとらんど★を開きレス。
11時の葬儀開式だったので、9時半に自宅を出発。
★カレン★はこれほど親しい★ちゃかえ★の死を、実際に顔を見るまで本当は認めたくなかったのだと思います。
病院にもかたくなに行かなかった★カレン★。
斎場に入り★ちゃかえ★の遺影を見るなり、★カレン★の目から本当にたくさんの涙が溢れていました。
★ちゃかえ★のご両親にも初めて対面。
ご両親、★ちゃかえ★のお兄様にご挨拶をしたら、お母様に『是非、栄にあってやってください。』と、
★カレン★が言われ、祭壇へ。
★ちゃかえ★の顔を見て、★カレン★が『くるしかったんだよねぇ。』と一言。
2人とも涙がまたまた止まりませんでした。
★ちゃかえ★と一緒に映画によく出かけていた友達★ひろぴょん★も駆けつけてくれて、
自分の一番弟子の★まりあ★ちゃんもかけつけてくれました。
★ちゃかえ★の会社の方たち知人の皆さん、本当にたくさんの方たちが葬儀に参列されました。

お父様の『栄は34年間という短い人生でしたが、健康の大切さをメッセージとして皆様にお伝えしたと思います。』
という内容の簡潔でありながらも素晴らしい喪主挨拶をされ、
我々一同、★ちゃかえ★を見送りました。
出棺前に★ちゃかえ★に参列者が献花。
お母様が『さーちゃんのだいすきなビールだよ。ほら飲んで!』っておっしゃりながら、
栄の顔の横にビールを注がれていました。
自分も★カレン★も★ちゃかえ★の顔に触れたかったけど・・
本当に多くの皆さんでとても★ちゃかえ★の顔のところまでたどり着けなくて、
お花を★ちゃかえ★の胸に置いてお別れしてきました。
棺には★ちゃかえ★のタバコ、パーラメントがいっぱいでした。
みなさんが★ちゃかえ★の好きなタバコをご存知だったんだねぇ。
紳士的な商社ビジネスマンがたくさん参列していましたが、
皆ためらうこともなく、嗚咽とともに泣いていらっしゃいました。
閉式間際には『池田君ありがとう。』というおおきな声も聞こえてきました。
あれだけ多くのビジネスマンがそろって泣きじゃくり別れを悲しんでいるのを目の当りにし
★ちゃかえ★が本当に立派なビジネスマンだったんだと思わずにいられませんでした。
とてもスマートな霊柩車に棺は運びこまれ、一同は★ちゃかえ★におわかれしました。

本当に短い人生でしたが、一生懸命生きた★ちゃかえ★です。
冥福を祈るしか出来ない自分です。

9.jpg**********

★ちゃかえ★の34回目の誕生日2005年7月15日
自分が最後に撮影した画像です。
★ちゃかえ★のお母様が安定しない★ちゃかえ★の目を覆いました。


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皆さんからメッセージを頂いています。

Fさん
本当に悲しいですね~
私も何度も駅まで迎えに来てもらったり
オフ会の会場まで送ってもらったりしました。
まっとさんちの3階に住んでるって冗談を
真に受けたりもしました。
本当にやさしくてハンサムで好青年でした・・・
ご冥福をお祈りします。

Sさん
池田 栄様は、2001年冬、
福山先生御夫妻のコンサート会場から打上げパーティー会場のレストランまで
カッコイイ車で私を送ってくださった方なので、
男前のお顔や、車内で喋ったディズニーの事etc.
アレコレ思い出してショックでした。
池田 栄様の御冥福をお祈り申し上げます。m(._.)m

Kさん
読ませていただきました。
まだ34才、本当にご自身、ご両親、
そして★まっと★さんはじめ愛し、愛された方々。
悲しくて悔しくてたまらなかったと思います。
それがよくわかりました。
葬儀で確かに参列のビジネスマンがそれほど悲しまれることは
少ないと思います。
本当に皆さまに愛された方なのでしょうね。
神は愛される方を先に召されるといいますけれど
残された方々は……
本当にご冥福をお祈りします。

Tさん
さっそく★まっとらんど★開いて栄ちゃんページ見ました。
また泣けてきました・・(-。-)
写真見て、また泣けてきました。プリントアウトしちゃいました。
残しとかないと栄ちゃんの顔忘れちゃうと悲しいからね。
頭の中はランドで笑ってる栄ちゃんだから。
病院の顔よりも元気に笑ってる方がいいもんね(^0^)
★まっとらんど★に乗せてくれてありがとうございます。
これで心残りが解消出来ました。

Mさん
しんじられません。読みました。
ただただ、、、
若くして亡くなるのは本当に罪深いです。
こんなことが本当に現実なのか・・・
事実はホントに、ただ受け入れるしかないのかもしれませんね・・・。

Yさん
栄さんとはトレクレで一度会って打ち上げで飲んだだけだったけど、
いい友達になれる予感してただけに残念です。
彼のご冥福をお祈りします。

Yさん
栄さん・・笑顔でお話ししてくれたのに・・元気になってまたお会い出来ると信じていました。とても残念です・・。ご冥福をお祈り致します。

**********

本当にたくさんのメッセージを頂きました。ここに書ききれないほどに・・・・
ありがとうございます。
きっと彼も天国ですべてのメッセージを読んでいると思います。

**********

★ちゃかえ★の死後、自分がオルゴールMIDIを★ちゃかえ★のために作りました。

組曲『ちゃかえ』Chakae Suite Op.264
Chiisana Short Cake 小さなショートケーキ Op.264-1
Hisashiburi no Hare 久しぶりの晴れ Op.264-2
Amanogawa 天の川 Op.264-3
Kawaii Tenshi 可愛い天使 Op.264-4
Azayakana Ao 鮮やかな青 Op264-5
Egaono Okuni 笑顔の奥に Op.264-6

天国で聴いてくれているって信じてます。


Chiisana Short Cake 小さなショートケーキ Op.264-1
Hisashiburi no Hare 久しぶりの晴れ Op.264-2
Amanogawa 天の川 Op.264-3

Kawaii Tenshi 可愛い天使 Op.264-4
Azayakana Ao 鮮やかな青 Op264-5
Egaono Okuni 笑顔の奥に Op.264-6

musicbox2008.gif★まっと★のオルゴール館 2008
収録曲目(全10曲)
01 春には遊園地 Op.130
02 観覧車から見る景色 Op.250
03 プリンとシュークリーム Op.46
04 ポエム第1番 Op.1
05 夜空を走るトナカイ Op.104
06 雨にぬれる紫陽花 Op252
07 マシュマロの夢 Op.228
08 とけない粉雪 Op.216
09 おもちゃ箱の世界 Op.248
10 バレンタインワルツ Op.218
組曲『ちゃかえ』Chakae Suite Op.264
Chiisana Short Cake 小さなショートケーキ Op.264-1
Hisashiburi no Hare 久しぶりの晴れ Op.264-2
Amanogawa 天の川 Op.264-3
Kawaii Tenshi 可愛い天使 Op.264-4
Azayakana Ao 鮮やかな青 Op264-5
Egaono Okuni 笑顔の奥に Op.264-6*すべてオリジナルの作品です。
お問い合わせはこちらから・・・

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そして・・・・もう一つの物語があります。

★ちゃかえ★がこの世を去って半年もしないときにおきたある出来事。。。。。。。

■ 新しい友達。単なる偶然?・・・息子が娘を連れてきた・・・・
★ちゃかえ★がつれてきてくれたお友達
こちらの記事は2006年4月7日に書いたものです。

昨年11月25日に息子のような親友★ちゃかえ★が天に召されたことは★まっと★通信や★まっとらんど★でも皆様にお知らせしたとおりです。彼が亡くなって4ヶ月以上たって、、、、こんな出来事が・・・。

★ちゃかえ★のお父様からお見舞いをひかえて欲しいと伝えられ、お見舞いにいけなくなり、★ちゃかえ★の顔を見られなくなったのが、彼の誕生日、2005年7月15日でした。それから約4ヶ月と10日ほど。。。
そして彼は11月23日に危篤に陥り、2005年11月25日に天国に召されました。

先日、岐阜・白川の★たいよう★ちゃんのところに遊びに行ったときのお話、★まっと★のところには★ちゃかえ★が夢枕にさえも現れないと、酒盛りをしながらプンプンしていたんです。
★ちゃかえ★とは生前★たいよう★ちゃんのところにも何度かお邪魔しています。★たいよう★ちゃんが言うには、彼のところには「きてたよ!」って言うんですよ。彼の家のダイニングテーブルの椅子に座っていたそうです。
★えりりん★に聞いても、「そういえば★ちゃかえ★の夢をみました。」・・・って言うんですよ。

でも、★まっと★のところには。。。。★ちゃかえ★が夢枕にも幻覚としても出現してこないんですよ。ちょっと僻んでいた★まっと★なのです。

先日も親しい友人と話したことがあります。
『★ちゃかえ★が入院している間、誕生日以来、顔を見せにいけなかった期間が4ヶ月と10日弱。だから、★ちゃかえ★は仕返しに同じ期間、★まっと★の前には、きっと夢枕にもどこにも出現しないんだよねぇ~★』
・・・なんてね。
桜の季節になり、何気に★ちゃかえ★が亡くなって4ヶ月がたったなぁとは気がついていました。

3月末から4月にかけての週末、★まっと★は大阪に居ました。大阪から名古屋に帰り、メールを読み込んでみたら、ある一人の女性からメールを頂きました。★ちゃかえ★の会社で一緒にお仕事をしていたことのある方だそうです。その後、会社を退社され、★ちゃかえ★とも電話で幾度か話をしたそうですが、その後連絡が途絶えたとか・・。
それで、★ちゃかえ★のメアドIDからインターネットで検索をかけたところ、★まっとらんど★が引っかかったそうです。★ちゃかえ★の死を★まっとらんど★の『ぶん★文★ぶん』で知ったそうです。そして、メールの中では★ちゃかえ★との会社での話をたくさん聞かせてくださり、彼女自身、★ちゃかえ★が天国に旅立って4ヶ月以上もの間、何も知らなかったことが大変辛そうでした。彼女がメールを書いてくれたのが4月1日のこと。★まっと★がメールを開いたのが2日の夜でした。そう、丁度★まっと★が★ちゃかえ★の病院にお見舞いにいけなくなった期間、4ヵ月と10日ほどと同じ期間が経ってからのことでした。とても偶然とは思えません。
彼女とのメールのやり取りがそこから始まったのですが、もうすでにどれだけの回数、メールを書いたことでしょう・・・。彼女はビジネスマン★ちゃかえ★の話を、そして★まっと★は★ちゃかえ★のフリータイムでの話をメール上でやり取りしながら、★ちゃかえ★を偲んでいます。

★ちゃかえ★が亡くなってから、まさか「活字」になって★まっと★の前に現れるとは思ってもいませんでした。夢枕か、または幻覚か・・・どんな形で★まっと★の前に現れてくれるのかとドキドキしていましたが、まさか、メールの中に「活字」となって『池田栄』・・・・。勿論、メソメソと泣いてしまいましたが、とってもうれしかったです。
★まっと★が信じていたように、4ヶ月と10日。。。。そしてちゃんと★ちゃかえ★は★まっと★の前に現われましたね。それにしても驚かされました。★ちゃかえ★らしいのかもしれません。

ちゃっかり、お見舞いに行けなかった4ヶ月と10日分の仕返しをきっちりしてくれました。さすがA型の★ちゃかえ★だなってね・・。なんだか★ちゃかえ★がつれてきてくれた新しいお友達とメールの交換などをして、★ちゃかえ★のことを思い出しています。単なる偶然とは思えなくて・・・・・・
彼女は『★ちゃかえ★の手先1号』と彼女自身のことを呼んでいます。なんとなく★ちゃかえ★という息子をなくしてしまったけど、娘が一人出来たような感じです。

不思議です。

*********************

PCのことが全くわからず、いつも★ちゃかえ★に頼っていた自分です。
でも、頼れる人が居なくなると、自分でも出来るようになるもの。
自分なりにスキルはアップしてきたと思っています。
気が付けばPCを教えていたりもします。
彼のおかげですね。

*********************

続きまして2006年7月17日に書いた記事です。

■ 加齢はみんな平等に・・・
・・・・・・・・★ちゃかえ★だけ加齢しないのは許さない。

321.gif誰でも年齢を重ねるもの。
しかしながら天国に旅立ってしまうと、誰の心にもその旅立ってしまった人は若いまま、加齢することなく思い出という倉庫の中に永遠に存在し続けてしまいますよね。
そう、★ちゃかえ★は昨年11月25日にその短い34年間の人生に幕を下ろし天国に旅立ってしまいました。それは本当に悲しいことで★まっと★自身も、身近な親友の死を信じられませんでした。

そして、半年以上が過ぎて、7月15日に★ちゃかえ★の35回目のお誕生日がやってきました。
この『ぶん★文★ぶん』の№29にも記してありますが、丁度一年前、★ちゃかえ★のお父様からお見舞いを控えて欲しいと告げられ、それまでたとえ10分であったとしても毎日通った★ちゃかえ★の病院に足を運べなくなったのが一年前。
34回目の誕生日には両手荷物一杯のプレゼントを抱えて、★ちゃかえ★の待つ病院に出かけました。あれから一年。。

324.gif状況はまったく一変してしまい、★ちゃかえ★はもうこの世の人ではなくなってしまい、今ではお星様・・・・。
この半年以上の間、本当によく泣きました。神様を恨んじゃったこともあります。でも、事実は現実として受け止めなくっちゃねぇ。
ところが・・・・、★まっと★はそれほど素直じゃなかったんですねぇ。。
ヾ(@゜▽゜@)ノ ぎゃはは・・・・・ヾ(@゜▽゜@)ノ
★まっとらんど★のメンバーの皆様にもまた、HP★まっとらんど★をご訪問下さる皆様にも、34歳の若さのまま思い出という倉庫に残っていく★ちゃかえ★。。。ちょっとうらやましいではありませんか。。。
だって加齢しないんですよ!
いつまでも34歳のまま!!

322.gif★まっと★だって★カレン★だって、みんなみんな加齢して老いていくのに、★ちゃかえ★だけはいつまでたっても34歳のイケメンのまま!!それって不公平だと思いませんか?
(ヘ;_ _)ヘ 爆 (ヘ;_ _)ヘ

そこで思いついちゃったのが、★ちゃかえ★のバースデーパティー。残念ながら★カレン★は渡英中で日本にいないし、秘書様の★えりりん★も丁度この15日、実家の法事とのことで都合が付かない・・・・★ちゃかえ★の会社に以前勤務していたトモトモは独身の女の子。★カレン★もいない、★えりりん★もいない状態の中、男ばかりが集まるパーティーにトモトモを招待するのは、これまた失礼・・・・。
それで、結局、★ちゃかえ★を知る仲間数名で★ちゃかえ★のバースデーパーティーを決行してみました。

午前中、小学校でのPCの授業があったので、その帰り道に買い物を済ませ、せっせと料理。★まっと★の料理の腕前は我ながらたいしたものだと自負しております。まぁ食べることが好きだから、どうせ作るなら美味しいものが作りたいですからね・・・当初は男ばかりだし、焼肉でも・・って思っていたのですが、どうせならちゃんと英国料理をフルで振舞いたいと思いなおし、前菜こそ手抜きをしましたが、シェパーズパイに、ポテトサラダ、マカロニサラダ、そして、ローストポークを焼いてみました。
デザートは★ちゃかえ★が大好きだった名古屋・鳴海のケーキ屋さん「パリジャン」のイチゴのデコレーションケーキ。

★ちゃかえ★の遺影とサーちゃんのぬいぐるで席を飾って、★ちゃかえ★の誕生日席の準備も完了。サーちゃんには甚平を着せてあげました。
準備のために★ピロピロ★には前日入りしてもらいました。午後4時ごろから★ちゃかえ★と映画やコンサートに生前よく一緒に出かけていた★ひろぴょん★が到着。6時を回った頃に知多の★恵★君が到着。そしてシャンパンで乾杯。★ちゃかえ★は準備からちゃんといたのかなぁ・・・・
あはは・・あんまりよくわかりませんでした。
ビールは★ちゃかえ★が大好きだったアサヒのスーパードライ。
★ちゃかえ★の煙草:パーラメントに灰皿も用意しました。準備しながらメソメソ。0゜・(>_<;)0゜・。もしちゃったけど、
パーティーが始まって★ちゃかえ★の話題で盛り上がり、大笑いしたり、大泣きしたり、、、、。

325.gif丁度、盛り上がっているときに高校時代の同級生の★肇★から電話。実は★肇★の会社に★ちゃかえ★の会社は出入り業者として行き来があったんですねぇ。偶然とはいえ、★肇★にもちょっと顔を出せよって声をかけたら、その足で来宅してくれました。
★まっと★たちはシャンパンを二本あけて、ビールと食事をたらふく頂いてかなり酩酊・・・そこに登場してくれた★肇★には本当に感謝しています。偶然とはいえ、本当にびっくりした。会社でも★ちゃかえ★と★肇★はまれに顔をあわせていたらしいし・・・・

食事を終えてバースデーケーキ・・・・ケーキに蝋燭を立てて、火をつけたら、なんだか涙が止まらなかったですねぇ・・・本人が来られないバースデーパーティーを企画した自分ですが、そのどう考えても不自然なパーティーの光景の中から脳裏に映し出されるのは8ヶ月までの闘病生活と目に焼きついている通やや葬儀の光景。たまらなく悲しくなってしまいました。でも、こうして天国の★ちゃかえ★のことを思い出してあげられることが最高の供養だと自分は信じているし、来年もこうして★ちゃかえ★の36回目のバースデーをお祝いしてやろうと思っています。

323.gif★まっと★はこれからいくつまで生きるのかわかりません。また、パーティーに参加してくれたみんなも一年一年加齢していくんですよね。★ちゃかえ★だけ34歳でストップさせてたまるものかぁ~~★
ちゃんと今年は35歳になってもらえたように思います。★ちゃかえ★の遺影の顔だけは老けないけど・・・・
でも、こうして、こんなにも呆れてしまうような企画なのに声をかけたら集まってくれる友人にも感謝。

★ちゃかえ★も幸せ者だな。。。

こうしてみんな平等に★ちゃかえ★もお誕生日にひとつ年をとりました。

*********************

やっぱり、★ちゃかえ★だけ年をとらないのはヾ(`◇')ダメッ!
みんな平等じゃなくっちゃね。

ただ・・・2006年、、、、確定申告の時のエピソードを。。。。。
2002年くらいから確定申告は★ちゃかえ★が作成してくれたエクセルシート利用して作業をいつも手伝ってくれていました。まぁ、ディズニーランドに遊びに行きたいから、早く★まっと★を確定申告から開放させて、一緒に遊びに行くためだったのだと思いますが・・・・
(ヘ;_ _)ヘ 爆 (ヘ;_ _)ヘ

2005年の確定申告終了の頃に★ちゃかえ★が入院してしまいましたから、結局2005年からは殆ど東京ディズニーランドに遊びにいけていないんです。ちょいと残念でしたね。

2006年の確定申告の時期、そろそろ帳面作成・・・
★ちゃかえ★が天使になっちゃったから、自分ひとりでしなくてはいけません。
でも、エクセルやワードはちょいと苦手な自分・・・・・。
そして、出納帳関係フォルダを開いたとき・・・・・・・・・・・
涙が止まりませんでした。
『2006確定申告用現金出納帳』、
『2006確定申告用銀行出納帳』という二つのエクセルファイルが
用意されていました。
前年残金がすでに記入されていて、後は数字と概要を打ち込むだけ。
そこまでしてくれていたんだぁ・・・
・・・まぁ、自分が翌年も手伝わされるから・・って言うことでしょうけど、
先回りして着々と仕事を進める★ちゃかえ★らしいですね。
泣きました。

***************

続いての記事は2006年12月21日に書いています。

■ あれから1年がすぎました・・・

昨年、この世を去った★ちゃかえ★。一年がたちました。2005年11月23日、呼吸している★ちゃかえ★に最期に会って、二日後に息を引き取ったんですねぇ。
今年11月22日、名古屋での秋のシリーズ千秋楽。ほかの公演では彼のことについてMCでお話しすることはなかったのですが、千秋楽ではどうしても彼への弔いの意味も含めてのプログラミングをしていたので、コメントを言いたかったんです。
★ちゃかえ★の葬儀で出棺の際、ショパンの『別れ』が鳴り響いたとき・・・・。どうして俺のピアノじゃないんだ・・・★ちゃかえ★を送るのは俺のピアノじゃなくっちゃ・・・って心に感じました。
そして、今年(2006年)の秋のシリーズのプログラムを組み立てる段階で、どうしても『別れ』を入れたかった。かなり強引に入れ込んだかもしれませんが、自分の中で自分のショパンで★ちゃかえ★を送りたかったという一年間の思い・・・。それをお客様にもお伝えしたくてMCで『大切な親友の死』についてお話しました。
お客様が泣いてくださって、みなさんが★ちゃかえ★を送ってくださったような気がしました。演奏のほうはちょいととちってしまいましたが、音色は満足のいくもので、きっと★ちゃかえ★も天国への階段を上ってくれたことと思います。
一年・・・ちょいと時間はかかってしまいましたが、★まっと★のショパンで命日を迎える前に送って上げられたことに自己満足の★まっと★であります・・・。

それぞれの楽曲にいろいろなエピソードがあります。作曲者にとっても、そして、演奏者にとっても・・・。
★まっと★の心の中に大切な思い出の楽曲がまたひとつ増えました。

***************

後、あと二つ、★ちゃかえ★関係の記事があります。

これは2007年の奴のお誕生日の話。。。。
やはり、★ちゃかえ★にも平等に年を重ねさせたかった自分でありますが・・・
摩訶不思議・・・・・
2007年7月16日に書いた記事です。

■ ★ちゃかえ★36歳なり!・・・★ちゃかえ★にも加齢してもらわなくっちゃ!

070715_103435.jpg★ちゃかえ★・・・・

実は★まっと★の車の番犬☆さーちゃん☆って。。。。
★ちゃかえ★の生まれ変わりジャン!!
そんでもって、7月15日は★ちゃかえ★のお誕生日・・・

★ちゃかえ★はもう天使になっちゃってこの世にいないけど・・
☆さーちゃん☆になって、★まっと★の車の番人であります。
ヾ(@゜▽゜@)ノ ぎゃはは・・・・・ヾ(@゜▽゜@)ノ
そんでもって、★ちゃかえ★&☆さーちゃん☆のお誕生日。。。
36回目のお誕生日であります。
.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪

1184496212-070715_020705.jpg★ちゃかえ★のお誕生日ケーキ・・・・
36回目の誕生日も昨年同様、★ちゃかえ★が大好きだったパリジャンのケーキでお祝いしました。
.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪
ただ、、、、あまりにもビックリしたこと・・・
実は14日、★まっと★は飲み会だったのですが、
台風の到来ということもあって飲み会はキャンセルになってしまいました。
名古屋での飲み会・・
★まっと★はタクシー代が勿体無いと思って、事前に名古屋中心部のホテルを予約してあったんです。
タクシー代よりもホテル代のほうが安いから・・・
しかし、キャンセルが決定したのが当日・・ホテルのキャンセルもできず・・
★まっと★は名古屋の街中で宿泊・・

1184496212-070715_093752.jpgヾ(@゜▽゜@)ノ ぎゃはは・・・・・ヾ(@゜▽゜@)ノ
そして・・・・なんと、偶然といいながらもこんなことってあるの・・・
ホテルのお部屋は・・・・
★ちゃかえ★・・・・ちょっと下界におりてきちゃったのかな・・・??
.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪
お部屋ナンバーが715・・・・★ちゃかえ★のお誕生日ジャン!

★ちゃかえ★、、、、36回目のお誕生日おめでとう。。。。
自分だけ加齢しないなんて許さないよ!
ちゃんと我々と同じように加齢してもらわなくっちゃ!
ヽ(__ __ヽ)コケッ!!
☆さーちゃん☆のお誕生日ケーキ・・・
大きなろうそく3本と小さなろうそく6本・・・
ちょっと切なくなってないちゃったけど・・・・
でも、☆さーちゃん☆の誕生日・・・
毎年パリジャンのケーキでお祝いするつもりです。
o(*^▽^*)o♪

***************

ちなみに・・・・2008年の★ちゃかえ★の誕生日。。。。。
パリジャンに出かけたのですが・・
研修旅行とやらでお店が休みでした・・・
(ヘ;_ _)ヘ 爆 (ヘ;_ _)ヘ
それで、結局近所のケーキ屋さんでケーキを買ったのですが・・・・
あんまりおいしくなかった・・・
……(-。-) ぼしょ・・・・

それで、翌週にもう一度ケーキでお祝いしました。
ヾ(@゚▽゚@)ノ ぎゃはは・・・・・ヾ(@゚▽゚@)ノ


***************

最後の記事になります。
この記事は2007年11月29日に書いています。

■ もう二年・・・★ちゃかえ★、天国でのんびりしてるかな?

45.jpg今年は秋のリサイタルツアーの真っ最中に★ちゃかえ★の命日がやってきた。
今年も泣いちゃうのではないかと自分自身がとても不安だったのだが、★ちゃかえ★がそんなことを望んでいるわけもない。自分でも驚くほど冷静に命日を迎えることができた。多くの仲間に支えられた二年だった。
奴があっちに行ってしまってからかわいそうに思った最初の一年。そして、今その次の一年を振り返るとき、一生懸命生きて今はのんびりしてる★ちゃかえ★が想像できる。ある意味、人がなくなり寂しさを感じるとき、時間が解決してくれると人は言うが、そればかりではない。人間の思考方向性が人生を歩むにつれて若干の変化を生じるということなのかもしれない。

千の風になって・・・・

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹き渡っています

あの大きな空を
吹き渡っています

A THOUSAND WINDS

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow;
I am the diamond glints on snow,
I am the sunlight on ripened grain;
I am the gentle autumn's rain.

When you awake in the morning bush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet in circled flight.
I am the soft star that shines at night.

Do not stand at my grave and cry.
I am not there; I did not die.

★洋子ママ★がこの歌を歌ってくれた。そして伴奏をする機会を得た。
本当にそのとおりだと感じられた。

★ちゃかえ★の冥福を祈りつつも。。。。やはりいつも我々の上空を微笑みながら吹き渡っているように感じられてならない。
また、仲間たちがいつも自分にそう感じさせてくれる環境を作ってくれていることに感謝。。。。

★ちゃかえ★、ありがとう。
みんな、ありがとう。。。。

***************

長い長いエッセイ・・・
読んでくださった皆様に感謝いたします。
ありがとう♪(#^ー゚)v。
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KOZOU

今度ゆっくり読ませていただきます。
by KOZOU (2009-03-31 07:29) 

KOZOU

読ませていただきました。
★まっと★さんの気持ちがひしひしと伝わりますね。
ご自分でメールし、元気な姿を★まっと★さんに見せたかった。ようくわかりますね。空メール、無言の電話、かわいそうでたまらないですね。

千の風、大好きです。亡くなった人を思う人がいる限りその人は亡くなっていない。本当に千の風になって★まっと★さんの周りを吹き渡っていられるのだと思います。
友にこれだけ悼まれるちゃかえさん、ほんとにすばらしい方だったのでしょうね。
by KOZOU (2009-03-31 07:54) 

★まっと★

KOZOUさん(●⌒∇⌒●)
はやっ!!
.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪
ちょっと時間がかかっちゃいますよね。。。
現在、本館のコンテンツを少しずつブログに移行しているところなんです。
それで、一気に★ちゃかえ★もブログに参加させてやりました。
.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪

奴に出会ってから7年間、★カレン★も一緒に楽しい時間をたくさんすごしました。まさか。14歳も年下の★ちゃかえ★が自分よりも先に天国に行っちゃうなんて。。。びっくりしましたよ。。。。
でも、これも★ちゃかえ★の人生。

でも、みんなに素敵な思い出を残してくれて、いい奴でした。
お読みいただき、うれしく思います。
ありがとう。
by ★まっと★ (2009-03-31 08:00) 

お茶屋

拝読させて頂きました。

まっとさんに こうして確かに記してもらえることって、
すっごく幸せなことなのではないかと
そう感じました☆

*小学生みたいな感想で忍びないです><!
by お茶屋 (2009-03-31 10:14) 

★まっと★

お茶屋さん(●⌒∇⌒●)
お忙しいのに、こんなに長いものを読んで頂き、
大変恐縮しております。
ありがとう♪(#^ー゚)vございました。
by ★まっと★ (2009-03-31 11:07) 

ちゃーちゃん

ちょっと体調を崩している中で★まっと★さんとちゃかえさんの記事に目が離せなくなって一気に読んでしまいました・・・
2007年の9月に私も名古屋国立病院(旧)でOpe
をしたり、ちゃかえさんの姓が私と同姓だったり
★まっと★さんの名前が家のボスと同じだったり
幾つか関係ある様な無い様な繋がりで、とっても何かの懐かしさを感じてしまいました・・・
そして、優しい★まっと★さんのお気持ちに感動しました。
★まっと★さんの廻りに千の風になっていつもちゃかえさんがいてるれる事でしょう・・・
忘れる事の出来ないちゃかえさんとの思い出が永遠に続きます様に・・・
           合掌
by ちゃーちゃん (2009-03-31 19:26) 

★まっと★

ちゃーちゃん(●⌒∇⌒●)
ありがとうございます。長かったでしょ・・・。
今まではそれぞれを別々にアップしてあったんですが、
今回すべてのエッセイをこちらに移行しようとおもって、★ちゃかえ★のお話は全部まとめてしまいました。
かなりつらい体験でしたね。
でも、そうそう・・いつも千の風にゆらりゆらりですからね。
そう考えるようにしています。
今でもたくさんの素敵な友達に囲まれて生活していますから・・十分に幸せです。
by ★まっと★ (2009-03-31 20:12) 

gensan

シンデレラ城にいらっしゃるのは ★ちゃかえ★さんなのですね。。。

息子さんを亡くされたお母様の事を考えると 胸が痛みます。。。

私も先日 5年前に亡くなった義兄にあってきました。 
発病からあっという間に召されていきました。
まだ幼かった娘たちもあと数年で成人式です。
とても夫婦仲の良かった姉は 今でも とても寂しがっています。。。


by gensan (2009-04-03 12:41) 

★まっと★

genさん(●⌒∇⌒●)
読んでくださったのですね。
ありがとう♪(#^ー゚)vございます。
実はそんなわけで、2005年以来、相棒が居なくてなかなかTDRにも足が遠のいてしまったというわけであります。。。
……(-。-) ぼしょ・・・・
自分にとってもめちゃくちゃ大きな事件でした。
風化はしていませんが、思い出すときやっぱり寂しいですね。
by ★まっと★ (2009-04-03 12:44) 

mitu

栄様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
合掌。
by mitu (2009-07-16 08:59) 

★まっと★

mituさん(●⌒∇⌒●)
心より感謝します。
ありがとう♪(#^ー゚)v。
by ★まっと★ (2009-07-16 20:19) 

ねこじたん

ここにくるのに相当時間がかかってしまいました

なんて言っていいか…

いつまでも いつまでも ダイジな人でありますように
by ねこじたん (2009-11-26 03:47) 

★まっと★

ねこじたんちゃま(●⌒∇⌒●)
(^オ^)(^ハ^)(^ヨ^)(^ウ^)(^ー^)
ありがとう。
そうだね。いつまでもね。
by ★まっと★ (2009-11-26 06:52) 

空飛ぶ食欲魔人

おはようございます。
拝読させていただきました。
大切な人を亡くされる心の痛み・・・・
実は私がピアノを封印したのも、それが一つの理由なんです。出会う人の数よりもなお、別れゆく人が多くなってきました。
私の従兄弟の奥さんも3年前に亡くなりました。
枯れ葉が舞い散る様に・・・・
必死に痛みに耐えて戦っていたそうですが、ご主人でもあり、私には兄貴の様な存在だった彼が、下した結論。夜中に頻繁に襲う激痛の姿を見ていられなくなったのでしょう。お医者様によるモルヒネ投与により、最後は安らかに頬笑みを浮かべ、眠る様に亡くなったそうです。
最後に遅くなりましたが、栄様のご冥福を心より祈念申し上げます。
by 空飛ぶ食欲魔人 (2009-11-26 08:27) 

★まっと★

空飛ぶ食欲魔人さん(●⌒∇⌒●)
誰もがつらいことを味わっていますね。
でも、それぞれの心の中に色々な形でその事実は残っていくものです。
自分も彼が天国でゆっくりした生活を多くって居るでしょうから、
その生活の域まで達するように日々精進していかなくては・・と改めて感じております。
by ★まっと★ (2009-11-26 12:05) 

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