義父:Ernest Taylor 告別式の告知 [Family]
カレンの父:Ernest William Taylorが2015年6月24日水曜日(英国時間)に永眠いたしました。
当初告別式を6月7日に予定しておりましたが、諸事情により告別式は8日に変更となりました。
今回、カレンの航空券は往復FIXのチケットにてもう日7月1日に日本へ帰国予定でしたが、今回の急な父の危篤から永眠への流れに伴い、一度はカレンの帰国延長を考えたりも致しました。しかしながら、英国の場合、死去から告別式までの日程に余裕があるため、カレンには休息のため一時帰国してもらうことにいたしました。
よって、予定通り、明日午前、日本に一度帰ってまいります。
また、8日の葬儀に合わせ、今週土曜日4日のフライトにて再び英国へ飛びます。予定としては13日の日本帰国となっております。
勤務先など皆様には若干のご迷惑をおかけいたしますが、なにとぞご理解いただきますようお願い申し上げます。
自分も告別式には参加したい気持ちは十分にあるのですが、今回、11日の演奏会もございますし、日常の仕事のスケジュールにも穴をあけられる状態ではございませんのでカレンの親族の暖かい気持ちを頂き、告別式は失礼させていただくことになりました。
恒例の年末の英国帰省では義父のお墓参りなどしっかりとあいさつをさせていただくつもりです。
さて、今回の義父の他界により国際結婚の距離感を肌で感じることとなりました。近代デジタルの日歩の生活の中で忘れてしまいそうな地球の裏側という事実・・・そして、二年前の実父の死以降、こういうことが起こりうるということは覚悟していたつもりですが、実際に身に起きてしまうと、飛行機に乗っても一日かかってしまうことのもどかしさ・・・。そして移動距離の多さによる秘奥など想像をはるかに超えるものでした。実際に自分hあフライトをしていないし、カレン一人が英国と日本をこの短い数週間の間に二階も往復し、負担が大きかったであろうことを考えます時、カレンにはゆっくりと休息をとってほしいという思いが一段とわいてきます。
今回、カレンは英国に変えることを非常に拒んでおりました。病気による父の変貌ぶりはもちろんのこと、母の介護による疲労など心配事があまりにも多く、Ernesuto自身も自分のため英国に帰ってくる必要はないと強がりを言っていたことを思い出します。
しかしながらかカレンが到着した7月19日の夜までは意識もあり、カレンが父と会話することができたこと、そしてその日の晩に意識がなくなり、三日間。。。。そして永眠を迎えたとのこと。
少なくとも恐怖と心配で英国帰省を拒んでいたカレンを無理やりにでも渡英させたことが本当に良かったと思えますまた、父:Ernestもカレンの帰省を心待ちしていたのだなぁと実感できました。
カレンをErnestのもとへ最後に出向かせることができて自分も後悔せずに済みそうです。
皆様には本当に暖かいお言葉を頂戴し、感謝しております。
カレンが13日に帰国いたしました歳にはぜひともお声をおかけくださいますよう、心よりお願い申し上げます。
この二年間で二人の父をなくしてしまいましたが、母が二人とも元気でいてくれること、神様に感謝いたします。
福山孝
英国の義父Ernestが旅立ちました。 [Family]
今日は悲しいご報告です。
19日からカレンは父親であるErnest William Taylorを見舞うためにBradfordの実家に帰省しておりました。カレンが実家に到着した19日には父と話すこともできたのですが、その夜、意識がなくなり、、日本時間今朝(26日)午前3時過ぎに天国へ旅立ちました。カレンから気丈な声で電話が入りました。カレンも覚悟ができていたのでしょう。昨日あたりからは電話口で泣くこともなく、しっかりとした口調で話していました。そして、Ernestの死後20分ほどですぐに日本の自宅に電話をくれました。
今朝、こちらのほうからも電話をしたのですが、母Barbaraもカレンも疲労感は隠せないものの、気丈にふるまっていました。
国際結婚して30年。結婚当初、両親の死というものは頭をよぎることなどありませんでした。しかし、30年の月日の流れ、そして2013年に自分も父親を亡くし、今回遠く離れたカレンの故郷、その距離感を実感せざるを終えませんでした。
皆様からも優しいお言葉をたくさんいただき、本当に感謝しております。しかし、苦しい数日を経て、苦しさから解放され、義父Ernestは今、天国に旅立ちました。
皆様のお心遣いに深く感謝いたします。
19日からカレンは父親であるErnest William Taylorを見舞うためにBradfordの実家に帰省しておりました。カレンが実家に到着した19日には父と話すこともできたのですが、その夜、意識がなくなり、、日本時間今朝(26日)午前3時過ぎに天国へ旅立ちました。カレンから気丈な声で電話が入りました。カレンも覚悟ができていたのでしょう。昨日あたりからは電話口で泣くこともなく、しっかりとした口調で話していました。そして、Ernestの死後20分ほどですぐに日本の自宅に電話をくれました。
今朝、こちらのほうからも電話をしたのですが、母Barbaraもカレンも疲労感は隠せないものの、気丈にふるまっていました。
国際結婚して30年。結婚当初、両親の死というものは頭をよぎることなどありませんでした。しかし、30年の月日の流れ、そして2013年に自分も父親を亡くし、今回遠く離れたカレンの故郷、その距離感を実感せざるを終えませんでした。
皆様からも優しいお言葉をたくさんいただき、本当に感謝しております。しかし、苦しい数日を経て、苦しさから解放され、義父Ernestは今、天国に旅立ちました。
皆様のお心遣いに深く感謝いたします。
カレンのお父さん [Family]
英国よりカレンから毎日、朝と晩に電話がかかってきます。
一昨日までは自分の声を聴くと泣いてばかりのカレンでしたが、昨日あたりからカレンの声がとても力強くなりました。
お父さんの状態は決して良いとは言えませんが、体重も激減し、意識もないようです。しかしながら生きる意志だけはしっかり持っていてくださっているようです。呼吸も徐々に細くなっているようですが、カレンもカレンのお母さんも、妹も頑張っています。
今回、カレンが英国に到着して6時間だけでも、意識があり、会話ができたこと、本当にうれしく思います。お父さんの細い命の炎が燃え尽きるまで、カレンにはしっかりお父さんのそばについていてほしいと思います。
ただ、お父さんには苦しんでほしくない…それだけを望みます。
元気だったころの義父:Ernest William Taylor
一昨日までは自分の声を聴くと泣いてばかりのカレンでしたが、昨日あたりからカレンの声がとても力強くなりました。
お父さんの状態は決して良いとは言えませんが、体重も激減し、意識もないようです。しかしながら生きる意志だけはしっかり持っていてくださっているようです。呼吸も徐々に細くなっているようですが、カレンもカレンのお母さんも、妹も頑張っています。
今回、カレンが英国に到着して6時間だけでも、意識があり、会話ができたこと、本当にうれしく思います。お父さんの細い命の炎が燃え尽きるまで、カレンにはしっかりお父さんのそばについていてほしいと思います。
ただ、お父さんには苦しんでほしくない…それだけを望みます。
元気だったころの義父:Ernest William Taylor
23日が怖い。。。。 [Family]
実はカレンの家族は比較的親戚の誰かの誕生日に昇天日が重なることが多いのです。それぞれの家庭にスーパースティシャスな数字ってあると思います。福山家の場合は7という数字に非常に関係が深いと思っています。父の誕生日は8月17日、母は7月17日、姉は4月27日・・・ただ、自分だけが2月14日なんです。しかしながら14は2で割ると7になりますよね・・・。かなり強引ですけど…。自分の誕生日に7日を足して2月の21日はカレンの誕生日、そして、21にもう一回7を足すと28。カレンと自分の結婚記念日は12月28日なんですよね。こじつけといえばかなりのこじつけですが、そんな風に考えてしまうことがあります。
さて、カレンの家族では23という数字・・・・家族が昇天する日なんですよ。9月23日には双子の叔父と叔母の誕生日。そして、叔父は誕生日の9月23日に亡くなっています。また、義父の姉である叔母もやはり3月23日、そして、義父の母親もやはり23日に亡くなられています。
今日は6月23日。英国では8時間マイナスです。
とても心配な一日になります。
19日、飛行機に乗る寸前のカレンが泣くのを必死にこらえている姿・・・・そんなことも考えていたのでしょう。
さて、カレンの家族では23という数字・・・・家族が昇天する日なんですよ。9月23日には双子の叔父と叔母の誕生日。そして、叔父は誕生日の9月23日に亡くなっています。また、義父の姉である叔母もやはり3月23日、そして、義父の母親もやはり23日に亡くなられています。
今日は6月23日。英国では8時間マイナスです。
とても心配な一日になります。
19日、飛行機に乗る寸前のカレンが泣くのを必死にこらえている姿・・・・そんなことも考えていたのでしょう。
一人で迎える母のダイヤモンド婚式(60周年) [Family]
本来ならば結婚60周年ダイヤモンド婚式を今日迎えるはずの両親。
昨年に引き続き、母は一人で迎えます。
母は数日前から明治村にある聖ザビエル天主堂に出かけることを決めていました。
聖ザビエル天主堂こそ京都から移築された両親が挙式を挙げた教会です。
京都三高から京都大学へ進んだ父。
京都でカトリックに出会い、信仰を深めていったのです。
父のプロポーズ・・・・
・・・・・母と結婚できなければブラザーになる・・・・とか。
1955年5月5日
2005年5月5日
そして、50年目の結婚記念日(金婚式)
札幌から姉夫婦もかけつけてくれて・・・・
とっても大切な思い出。
仲良し家族勢ぞろいで迎えた両親の金婚式。。。。
この幸せは5年後のエメラルド婚式までつづくのでした。
これが最後の家族写真・・・・父が大切にした家族の最後の写真です。
そして、我々夫婦のもう一組の両親もまた、、、、、、
54年前に結婚。
そして、一人の宝物を手に入れたのです。
それがカレン。
そして、この宝物の4年前に美少年が日本で生まれたんですねぇ…・
そして・・・・・30年前に・・・・
二人は結ばれました。
家族の歴史。。。。。
素晴らしいものですね。
今日は母が一人で父をしのび犬山・明治村まで出かけます。