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エッセイ『二十歳になると』 [『ぶん★文★ぶん』]

大学や専門学校に勤務する昨今、考えることも多くあります。自分が二十歳だった頃を思い出そうとしてもなかなか思い出せないほど過去のことになってしまい、自分のときは同だったかなぁ・・・と、思い巡らしても成長することに必死だったことしか思い出せません。
一昨年、自分が勤務する愛知東邦大学で人間学部こども発達学科という新しい科が発足し、18歳で入学してきた学生達にはじめて会いました。そして、二年間、ピアノを教えてきましたが、彼らの成長ぶりに笑顔が隠せません。入学したてのころは右も左もわからず、大学での学生生活を以下に欧化しようかと必死になっていたようにしか見られなかった彼らも保育園や幼稚園での実習や施設実習などを経験し、自分の進路をより確実にした学生もいれば、「ちがったかな?」と再思考を繰り返す学生もいます。どちらにしても素晴らしく成長し、我々教員に対する意見交換も成人式を迎えた人間らしく話が出来るようになり、とても頼もしく感じられる今日この頃です。あと二年間彼らは学生生活を送り、社会に羽ばたいていくわけですが、その成長の中で教育者として関わっていけることをとてもうれしく思います。
来年度は「幼児とメディア」という科目を必須科目として担当します。これからの幼児教育においてもメディアの存在を無視して教育を推進していくことはとても難しいと思われます。そのなかで自分自身も研究を深め彼らの成長に何らかの形で影響を及ぼし、力を課してあげることが出来たらうれしく思います。講義に際して自分自身も研究の奥行きを深め学生達にいかにメディアを利用して指導することが可能なのかを伝えたいと思っています。
多分、学生達のメディアに対する意識がどの程度のものかを確認しない限り、講義展開の方向は見出せないかもしれませんが、できる限り指導案やシラバスにのっとった形で講義を展開したいと考えています。
彼らが成長を重ねると同時に、彼らの倍以上この世の中にはびこっている自分自身も磨きをかけていかなければなりませんね。
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エッセイ『★カレン★ 最高の笑顔』 [『ぶん★文★ぶん』]

昨日は★カレン★は愛知教育大学附属名古屋小学校においてサンプル授業があったようです。過去に二回の授業が行われ、担任の先生との研究授業。小学校英語導入に伴い、各行政、各小学校においても真剣に取り組んでいらっしゃいます。そのような教育現場で★カレン★も英語教育分野にて少しでも力になれたらといつも考えながら生活をしています。

過去二回の授業で児童たちとの交流を十分に考え★カレン★は1年2組担任教諭との打ち合わせなど細かなところにも気を配りながら昨日の小学校教育研究は大様協議会に照準を合わせてきました。担任の山本先生から本当に多くのことを学んだようで、過去二回の授業のときも帰宅してから夕食を食べながら本当にいろいろなことを話してくれました。そして昨日が本番(?)だったわけですが、自分が桑名の仕事を追えて帰宅したらすばらしい笑顔で★カレン★が迎えてくれました。その笑顔を見て、★カレン★が本当にNice Dayをすごしたのだということが伺えました。
今回の授業テーマは『What color do you want?』。★カレン★は昨日の朝からかなりの緊張の様子でした。あくまでもALTとしての立場をわきまえた上で、担任教諭主導型の授業展開は言うまでもありませんが、ベテランALTならではの授業展開になったようです。この協議会には多数の各地小学校教諭、教務、教育長が参加され、★カレン★も実際に教壇に立っている蟹江町などの小学校教諭の先生方も多数参観されたそうです。知っている顔が多かったことには★カレン★自身、とても驚いたようです。しかしながら考えてみれば、愛知県を中心とするALT業界において外国人英語指導助手の生活ケアーから授業指導などにいたるまで細部にわたって若いALTたちの統括を担当するスーパーバイザーとしてのキャリア、そして現場の教壇に立たなくては絶対に現状を把握できないからと今でもレギュラークラスを小学校にて担当していることなどを考えたら、教育現場での★カレン★の顔の広さはごく当たり前のことなのでしょう。

南山中学高等学校男子部で1986年から教壇に立ち、南山国際中学高等学校へ。その後、愛知県尾張旭市のALTとして教壇に立ち、現在の会社でスーパーバイザーとして核行政に派遣、委託される外国人講師の指導、統括を担当する★カレン★。このエリアではもっともキャリアのある外国人講師なのではないでしょうか。しかし、彼女の授業方法は英語を理解できない小学校児童たちに対しても絶対に授業では日本語を使わないそうです。23年の日本での生活。日本語を話せないわけはないのですが、児童たちにとっては初めて出会う外国人。どんなに難しいことでも英語だけで子供達と接する★カレン★のスタンスは立派なものだと思います。
そして、昨日★カレン★が小学校から持ち帰ったのは真っ赤なバラの花束と子供達ひとりひとりからの写真入りメッセージのアルバム。小学校1年生の児童たちから心温まるメッセージの数々。全てを読ませてもらいました。
★カレン★が一言・・・・
『自分の結婚式の日に次ぐ最高の一日だった。』
たった、三回の授業しか準備されなかった今回のセッション。それでもこれだけの感動を★カレン★は児童たちから受け取り、きっと児童の皆さんも思い出に残る英語の授業だったのではないでしょうか。
愛知教育大学附属名古屋小学校1年2組担任教諭の山本先生には深く感謝いたします。子供への接し方など★カレン★自身は本当に多くのことを学んだと話していました。また、愛知教育大学の高橋美由紀教授ともすばらしい会話が出来たと★カレン★自身大変喜んでいました。
行政と教育現場がこれだけ小学校における教育研究に力を注いでいるさなか、ALTを派遣する会社側はというと・・・・・小さな会社のはずなのに、社長さんは教育の『き』の字さえもご存じない方で。。。。社員の日報さえも読んでいらっしゃらないようです。
★カレン★もあきれていましたが、会社でお金の計算でもしていたのかな??お金儲けと教育。。。。。正比例はしないし反比例もしませんね。『行って来い』で御の字。行政も派遣、委託に頼らず、自分の街の外国人講師を直で雇用することによって地域性をよく理解した外国人講師を取り込むことが出来ると思うのですが・・・外国人の場合にはビザや住居の問題などいろいろとありますからねぇ・・どうしても派遣に頼ってしまうのでしょう。難しい問題が山積みですが、少なくとも児童たちと過ごす時間は★カレン★にとって貴重であり、ピアニストである反面、日本に来たことによって自分で開拓した英語教育のフィールドでこれだけ生き生きとした顔をしてくれるのであれば・・・・・★カレン★のソロピアニスト復帰を願う自分ではありますが、近い将来は無理!!!
止むを得ないかな・・・。.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))ニコッ♪
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エッセイ『ピアノの三角』 [『ぶん★文★ぶん』]

52.gifピアノの三角というのは写真を撮影していただく際にピアニストが一番ピアニストらしく写るといわれています。真実はいかがなものかよくわかりませんが、左の図の赤い線おなかに顔が治まるのが一番ピアニストらしいのだそうです。ふむふむ・・取りあえずピアノというのはでっかい楽器ですので、ポートレートだけでは何の楽器を演奏する人なのかがはっきりしないのは事実ですね。それで、ピアノの一部が明確に見えること、ふたと支えの棒がバランスよく三角を作り上げてくれるので、その中に上半身が写っているとピアニストらしい・・というわけです。★まっと★自身も好きなアングルですが、なかなかいい顔ってできないものなんですよ・・・演奏しているときってそれなりに音楽に入り込んでいるので、かなり区思想だったりつらそうだったり・・そんな表情が多いです!

撮影のための表情はかなりリラックスできるので、穂ホンダ利することもできるのですが、演奏中に撮影されるとどうしても苦しそうな顔になってしまいます。自分でも笑ってしまうような表情のときがあります。多くのピアニストが同じことを考えているのではないでしょうか。★まっと★の場合は自分自身の身体もでかいので、ピアノに負けるもんか!!って見えちゃいますしね・・なんとなくイメージ的には(自分自身も幼少のころピアニストのイメージはキリギリスの燕尾服をまとって線のように細い体型の人が演奏する楽器・・というイメージ)★まっと★はピアニスト体型とはいえないですからねぇ。。。
(ヘ;_ _)ヘ 爆 (ヘ;_ _)ヘ
それだけに写真に納まるときはできるだけ細く写してほしい・・・・・・
・・・・・無理だっちゅーの!
細く写りたいのならまずはダイエットしろ!!っていつも自分に言い聞かせているのですが、食欲に負けてしまう★まっと★であります。

まずはこの三角から身体がはみ出さないような体型を維持しなくては・・ぎりぎりではないですかぁ・・・反省……(-。-) ぼしょ・・・・
★まっと★の専属カメラマン★ピロピロ★もいろいろと試行錯誤しながら★まっと★の写真を撮影してくれますが、それでも事実は隠せない・・デブちゃんはデブちゃんに写ってしまう。。。。仕方がないのであります。
だから・・ダイエット・・・
・・・・それができない。。。(ヘ;_ _)ヘ 爆 (ヘ;_ _)ヘ


他にも角度的なものもありますね。客席が一段低いと、お客様がしたからステージ上の★まっと★を撮影してくださるのですが・・★まっと★的には下から撮影されるよりも二階席から撮影されるほうがすき!理由は単純に二重あごが撮影されにくいから!!
下からだと首とあごの境界線がはっきりしないのであります・・・(ヘ;_ _)ヘ 爆 (ヘ;_ _)ヘ
はぁ・・やっぱりダイエット・・っていう感じでしょうか。。。
ここ数年、髪の量も少なくなって、昨年あたりからはあちこちで『★まっと★さんかなりきてるねぇ・・・』って言われてます・・・自分でもよくわかっていたのですが、皆さんに言われるとかなりへこむ。。。。でも、負けない!!
よって、髪の毛の量は増えないけど、長さを伸ばしています。今年の秋のシリーズでは『うまくかくしちゃおう~~~!!』ってひそかに計画中!
ヾ(@゜▽゜@)ノ ぎゃはは・・・・・ヾ(@゜▽゜@)ノ
ただ、スポットライトって。。。。薄い髪の毛を通って、地肌までたどり着いちゃうんですよね・・・逆毛でもたてるかな!!客席からは頭皮のラインがくっきり・・・これは避けようが兄のかなぁ・・確かに、ダイエットしても無理だね!まったく関係ないもんね。
(ヘ;_ _)ヘ 爆 (ヘ;_ _)ヘ
アデラ◎スはしないつもりだから・・・被り物なら大好きなミッキーマウスくらいで・・。
パフォーマーってそれなりにいろいろと大変なことがあるのであります・・年齢とともに・・・・。

まずはピアノの三角からはみ出さない体型を維持することと、この秋までに髪が多く見えるような髪形にすること・・・この二点は絶対に守ろうと思います。
o(*'▽'*)/☆゜'・:*☆
乞うご期待!!・・・・・・・・・・・・・・????
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エッセイ『グランドピアノのふた』 [『ぶん★文★ぶん』]

51.jpgピアニストが写真を撮影していただくときに一般的に使われるアングルはいつも客席から見られる右の横顔が多いです。また、ステージなどでピアノの構造上どうしても右側をお客様に見られる機会が多いものです。(グランドピアノのふたは必ず右側が開きます。)ですから、グランドピアノを向かい合わせにおいて二台の演奏をするピアニストたち・・・お互いの手が見えないですし、呼吸も読み取りにくいのです。
★まっと★と★カレン★が二台の演奏をする場合は今までに一度だけ向かい合わせに楽器を配置したことがありますが、通常は二台を並べて演奏することが多いです。それは自宅で稽古する場合も二台横に並べてありますし、お互いのピアノの鍵盤に置かれた手の動きを感じやすいので、呼吸を合わせやすいということです。
客席に近いほうのピアノは向かい合わせに配置しても隣同士に配置しようがふたを取りはずすのが通常です。われわれの場合は★カレン★の音を遠くに飛ばすために二台ともふたを全開にして演奏する場合もあります。★カレン★所音を飛ばした上に自分の音をかぶせる感じという表現がよいのでしょうか。客席に音が届くときにはともに融合してバランスの取れた恩流尾が発揮できたらといつも考えています。ホールの構造やその日の気象状況により音の飛び方をよく熟視して当日に決定します。二台のピアノの場合はまったく同じ音量のピアノとも限りませんしステージでは小さく聞こえる音でも、実際に客席には響き渡っている場合もあります。どちらのピアノを誰が演奏するか、本番寸前にならないと決定できません。また、リハーサルでは観客は入っていないわけですから本番とは音の吸収もことなり、本番の状況はあくまでも推測の世界の中で決定し、本番に望むことになります。
われわれの場合は男性である自分と★カレン★の音量を比べると・・若いころは★カレン★の音量がどうしても負けてしまう部分があり、いくら自分が控えめに演奏してもパフォーマンス中に音楽の中に誘われると音量が出てきてしまうという癖があり、集中すれば集中するほど★カレン★の音を自分の音が消してしまうというとてつもない結果を生んでしまっていました。それが年齢とともに★カレン★の音量も出てくるようになり、また、自分も客観的に自分たちの音を聞きながら演奏することができるようになりました。
さて、ピアニストにとって右側からの横顔というのは、おかしな表現ですが見られなれている部分があります。というのは独奏のばあい、ピアノの配置は通常、鍵盤センターでステージに向かってピアニストが左側にいます。そしていつも横向きでピアノを演奏するわけです。しかしながら二台のピアノで向かい合わせにピアノを配置すると自分の左側にお客様がいらっしゃることになります。これはとても不自然な感じがするものです。また、なぜだかわかりませんが、左側の横顔には自身がないのでしょう。左側の横顔をお客様に見られるというのはとても恥ずかしく感じるものです。ただ、単に見られなれていないからでしょうが・・・不思議ですよね。
最近では二台の演奏をすることが非常に少なくなっています。それは★カレン★が二台のピアノよりも一台で4手の連弾のほうを好むからです。実際、自分は一人一台ずつのほうがスペース的な余裕もありますので好みなんですが、ホールで二台の振るコンサートピアノを借りたり演奏会当日の二台分の調律。。。これはかなり多額なものになりますので予算的にも一台4手のほうが好ましいです。また、われわれは夫婦ですから寄り添ってピアノを演奏するのもなかなか乙なものです。★カレン★はすぐ隣に自分がいるというだけで、ステージではかなり安堵感を感じるといってくれます。今ではソロ活動を引退し、自分のパートナーピアニストとしてのみの演奏活動。やはり、ステージ上では自分がいることで★カレン★が安心してパフォーマンスしてくれるのであれば二台の演奏よりも4手連弾のほうが自分自身も楽しくパフォーマンスに集中できます。
今年の秋のシリーズも皆さんに★まっと★と★カレン★ならではの連弾をお楽しみいただく予定です。是非、ご来場ください。
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エッセイ『幼児のピアノ教則本考察』 [『ぶん★文★ぶん』]

楽器店などに足を運び、自分の楽譜を探し手いる場合は初心者のための教則本の棚を必死で覗くようなことはめったになくなっている昨今。自分がお弟子さんのために楽譜を用意する場合、楽器店の営業の方に電話して教則本や楽譜を届けていただいていた時期があります。また、御用聞きのように楽器店の営業の方が自宅に足を運んでくださっていたころもありましたが、最近はできる限り楽器店に足を運び、自分の目でいろいろな楽譜に目を通すようにしています。ワンパターンのレッスンにならないように新しく出版された教則本にも目を通す必要はあるのではないかと思います。
半世紀ほど前に自分がピアノ学習者となったとき、最初に出会ったのはバイエル教則本。オルガン教室を途中退学した自分は姉が通っていた個人レッスンの先生のところに連れて行かれました。姉がオルガン教室に通っていたときに同行していた自分は姉が一年で卒業した後、自分も全てマスターしてしまっていたんですね。だから、年子の姉よりも一年後にオルガン教室に通い始めた自分は・・あまりにも退屈で、さっさとピアノの個人レッスンに移行したのです。
当時は誰もがバイエル教則本を使用していました。また、ピアノ学習者も非常に多く、先生のほうが足りない状態だったかもしれません。今では先生ばかりで生徒さんの奪い合いといった感じも否めない状態ですが・・・。そして何も考えずにバイエル、そしてブルグミュラーと進んで自分はピアノを学習してきたように思います。当時はバイエル、ツェルニーというのが人の名前だということさえ知りませんでした。本の名前というにんしきしかありませんでしたから。
ある程度の力がつき、音楽大学に進学、その後、留学を重ねていろいろな教祖九本とも出会いました。全世界のピアノ学習者がバイエルから始めているものだとばかり勘違いしていた自分はポーランドの学習方法、英国の学習方法を目の当たりにして大変驚きました。また、日本のピアノ学習者たちの聖書とも言うべきバイエル。。。。ヨーロッパにおけるバイエルの知名度のなさにも新たなおどろきがありました。えっ?どうやってピアノ学習をスタートするんだろう・・・・。
誰もが自分が歩んだ道しか知らないものです。でも、新しい発見をするとやはり新しいものに手をつけてみたいし、自分自身も研究するものです。英国人の家内はやはり英国人が書いた新しい教則本でピアノ学習をしたようです。また、英国時代の友人に尋ねてもそれぞれがいろいろな教則本を使用していたようです。ただ、びっくりしたのはスズキメソードのヨーロッパにおけるしっかりとした地位です。ヴァイオリンのスズキというイメージは大きいのですが、音楽の要素を学ぶ初期段階においては一般の人々が使用するにも立派な教則本として存在を確かなものにしています。実際、家内の音楽院での卒業論文のテーマは『スズキメソード考察』でしたし、彼女自身も使用して育ったようです。
どの教則本も使い方次第でその発展性はいくらでも先生次第で可能だということなんです。先生が研究を重ねていれば、教則本はあくまでも教則本であり、それをいかに子供に合わせた教則本として利用するかは先生の技量です。
★まっとらんど★のヘッドチューターである★えりりん★こと神谷先生はいろいろな意味で教則本を研究しています。私自身が今までであったことのない教則本をどこからか手に入れてきて、見せてくれたり、教則本の使い方のバリエーション、そして生徒さんにあわせてそれぞれが異なった教則本を利用するようにレッスンを展開したり研究を惜しむことはありません。私自身は彼女の意見を聞きながらいろいろと自分自身も教則ほんの研究をしています。
ただ、協和音と不協和音の感覚的な部分で協和音を感じとり認識する力を養うためにはバイエルの作品というのはなかなか優れているのではないでしょうか。
新しい教則本の中にはバイエルの作品を移調してみたり、表題をつけてみたりいろいろな試みが行われています。勿論、お母様方がピアノ学習をしていたころに慣れ親しんだ(または苦しんだ)メロディーをお子さんが自宅で練習することによって、お母様方も自分のお子さんのレベル認識が把握しやすいというのも出版社の狙いの一つだとは考えられますが・・・・。
バイエルにはバイエルのよさがあり、新しい教則本にはそれなりのよさがあります。いかに先生がうまくその教則本を使って教えられるかが子供たちの音楽性の発展可能性に大きく左右するということだけは忘れないようにしなくてはなりません。
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エッセイ『幼児教育を目指す方へ』 [『ぶん★文★ぶん』]

初めて教壇に立ったのはもう30年近くも以前のことになります。教育実習にて出身校でもなる南山学園南山中学高等学校男子部にて音楽科教育実習生として始めて生徒たちの前に立ち音楽の授業を展開しました。自分が在籍した男子校ということもあり、音楽という科目そのものがなかなか生徒たちに受け入れてもらえないのではないかという不安を抱えたまま初めての教壇に立ちました。その不安はいざ授業が始まるとあっという間に消え去りました。当時の自分はまだ若さがありましたし、生徒たちも年齢の近い教育実習生には親しみを持って接してくれました。そのころの自分は大学では幼児教育を研究しながらも演奏家としての人生を強く希望していた時代でもあります。
大学を卒業し英国トゥリニティー音楽院大学院にてピアニストとしての演奏技術を学び、帰国した後は演奏活動に忙しい日々を送っていました。しかしながら日本全国を回る活動の日々で体調を崩し万全ではない状態でのステージでもギャランティーをいただくことに対する違和感を覚えるようになり、当時の演奏活動の状態が自分にとって正しいあり方なのかどうかを再検討する必要を感じました。当時の自分は20代後半で、大好きなステージを去る必要は感じませんでしたが、自分自身が納得のいくステージをしたいという気持ちから、向こう10年は毎年一度の地元名古屋での演奏会一本と決め、極端に演奏活動の場を縮小することにより自分自身を今一度よく見直す時間を持つことにしました。   
その10年という期間が教育への思いを再び自分自身の心の中に感じるきっかけとなりました。自宅ではリトミックとピアノ、そして言語(日本語と英語)を融合させた教育方法を開発し、非常勤講師として母校でもあります南山中学高等学校では音楽科非常勤講師、その他の学校では外国語(英語)講師として教壇に立ちいろいろな学生、生徒たちと交流することができました。そして、40歳前後を境に再び少しずつステージピアニストとしての活動を再開しました。40歳になった自分は気が付けば日本でも中堅ピアニストとなり、もう若手ではありません。演奏そのものの内容も自分自身のスタイルを確立しなくてはなりませんでした。着実に演奏活動への道は進めることができました。しかしながら10年という教育中心の生活の中でまた新たな自分自身のステージを教育現場の中に見出したのも事実です。演奏活動と教育活動を両立させることは演奏活動のスケジュール調整さえ気をつければ難しいことではなかったように思います。
名古屋音楽大学時代より幼児教育に興味を抱き『幼児の音楽教育』をテーマに学士論文を書き上げ、英国留学以降、演奏活動中心の日々を過ごし、教育活動を忘れかけていた30代の自分にこの10年間がすばらしい経験を与えてくれました。社会情勢もパソコン、インターネットの普及により随分大きな変貌があり、時代の流れとともに自分自身も情報やインターネットの分野でも教育活動の場を提供される機会がありました。小学校での教育活動がより子供たちとの接点を頻繁なものにし、幼児音楽教育への熱意をより大きなものとしました。自分の活動が愛知東邦大学に認められ教職科目としての『幼児とメディア』やピアノ演奏技術などの科目を担当させていただくこととなり、教育活動現場でもより一層の研究に取り組んでいます。
現在は幼児教育現場で実際に必要な楽器としてアコースティックなピアノと電子ピアノとの比較、メディアを取り入れた幼児の教育におけるパソコン利用の方法などを課題に研究を進めています。リトミックの必要性はダルクローズが唱えるように身体運動の中にリズムと音程の存在があり、その認識が幼児における言語発達に大きな影響があることを、幼児教育を目指す学生たちにいろいろな例を挙げながら、体験し学習してほしいと思っています。
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エッセイ『演奏者&教育者』 [『ぶん★文★ぶん』]

私は演奏会デビューをして間もなく30年を迎えようとしています。長年の演奏活動を通じ、今までに一度も幼児の入場規制を行ったことはありません。幼児にもクラシック音楽を耳にする機会が必要だと考えています。もちろん、二時間に及ぶ演奏会全編を集中して幼児に聞かせようというのは難しいものです。大人にとっても苦痛になる演奏会も少なくありませんし、お客様の中には睡眠に誘われる人々も当然いらっしゃるわけです。
それは必ずしも音楽がお客様を楽しませていないという証にはならないと考えています。お客様がリラックスされて心地よく感じ、そのまま睡眠に誘われていらっしゃるのであれば、十分に音楽を感じていただいているのです。残念ながら退屈されている場合もあるかもしれませんが、その場合は次回の演奏会に足を運ばれることはないでしょう。
幼児が観客席にいるときの話になりますが、フォルテなど大きな音が鳴り響いているときに、恐怖のためにぐずってしまう場合はあるようですが、幼児が声を出すことはあまりありません。とても静かなパートでピアニシモなどの音量のとき、子供たちの大きな声が瞬間的に発せられる場合があります。ステージングの際には演奏している自分自身もその大声で瞬時に集中力を欠いてしまう結果になる場合もあるのですが、子供たちには音楽会という認識は勿論できていないわけですし、薄暗いホールの中では恐怖感を抱くことでしょう。その中で自分が声を出してもよいと感じるのは静かなメロディーが流れているときであり、親の気を引くためなのかもしれません。このことは状況を幼児なりに判断している事実に他なりません。
幼児教育において発達主要素として体育、造形、音楽は欠かすことができません。幼児の行動と連動する音に着眼することで、子供たちの興味の集中力を少しでも持続させることができるのはないかと考えています。日本人であればC・G7・Cの和声に対して直立・例・直立と反応してしまうのは周知の事実です。これは誰もが幼少のころから当たり前のようにすりこまれたもので、幼児が興味を持って行動に連携させているとは考え難い部分があります。しかしながら、音と子供の行動や運動には深い関係がありダルクローズの提唱した音楽と動きを融合した教育スタイルは画期的なものだと考えています。
ダルクローズは音楽学生の基礎トレーニング(ソルフェージュ、イアー・トレーニング)の授業をおこなう過程で、学生の音楽的センスを高めるためにどうしたらよいのかという課題に直面し、いろいろと試行錯誤しました。日本では既に明治時代にその教育スタイルであるリトミックが紹介されています。山田耕筰もドイツ留学時にダルクローズのアトリエを訪れて、大きな刺激を受けたようです。
音楽学生のみならず幼児教育を目指す学生たちには、このリトミックの教育スタイルは非常に有意義であり子供たちの動きを統括するにも非常に有効なものです。協和音を主体とし音とリズムを融合させることにより、子供たちは笑顔とともに運動を開始します。言語とリズム、運動とリズムの関連性は人間の発達に大きく影響することを実際に体験することによって理解し、実際の教育現場でも実践することによって幼児の能力を一段と引き伸ばすことができるのです。人間の身体の構造上、偶数拍子に対する反応は比較的容易ですが、幼児の中には特に三拍子を不得意とする子供が少なくありません。拍子を言語に連携させ三拍子の指導を試みる際、日本語のように全ての子音字に母音を伴う言語においてはリトミックによる教育スタイルは非常に効果的だと考えています。
演奏者としての長年の経験を踏まえ「幼児の音楽」、「ピアノのレッスン」など、幼児教育現場におけるリトミックの有効性やピアノ技術の向上のサポートができる教員でありたいと考えています。
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エッセイ『社会における活動』 [『ぶん★文★ぶん』]

1980年4月に名古屋にてデビューリサイタルを開催し、ピアニストとしての一歩を踏み出しました。その後、英国により高いピアノ演奏技術を求め留学し、ヨーロッパでの音楽教育に触れることにより多くのことを学びました。日本国内における音楽教育のあり方は明治時代に日本に流れてきたドイツ音楽教育の影響が非常に大きく、演奏技術もそのあり方を昭和の時代まで変貌を見出せなかった部分が見受けられます。しかしながら平成の時代に入り徐々に日本の音楽レベルは非常に高いものとなり世界的にも注目を浴びるようになりました。
私自身においては20代より西洋の文化と音楽パフォーマンスに触れる多くの機会を得たことが自分の音楽人生に大きく影響しています。1984年に帰国後、英国人ピアニストである妻と結婚したことにより、現在でもヨーロッパと日本の往復を毎年繰り返す機械があり、流れの速い現代に付随する文化と音楽を自分の中に取り込むことが可能になっています。
そうした昨今、それぞれの音楽家が演奏の機会に恵まれない日本において少しでも力になれないものかと、2001年に演奏団体トゥレブル・クレフを地元名古屋に立ち上げました。多くの若手、セミプロ、アマチュアの優秀な演奏家たちが演奏の機会を得ることができ、また安価にお客様にも音楽を楽しめるよう草の根的な活動をしています。今までに18回の演奏実績があり、兵庫、岐阜、長野などへの遠征演奏も実施してきました。
主宰する子供文化館まっとらんどのイベントとしてクリスマスコンサートや発表会も主催し、子供たちに多くの経験を与えることができました。また、保育園や小学校でのライブ授業では福岡県甘木市、岡山県総社市、長野県信州新町などで実施しています。
愛知県知多市民病院、社会福祉法人清心館(大阪)、東京都港区ひゅーまんプラザなどの福祉、医療施設にてコンサート実施し、福祉活動にもとても強い興味を持っております。身体に障害を持つ人々や老人の皆さんは能動的に演奏会に出向くことができないのが実情です。それならばこちらのほうから訪問することが私にできる社会貢献のボランティア活動だと考え、今ではライフワークのひとつになっています。福岡県西方沖地震や新潟県中越地震などの災害時のにはチャリティーコンサートを愛知県内にて開催し義援金を寄付させていただきました。
また、2005年にはピアノ学習者の演奏技術レベル向上のために名古屋ピアノコンクール事務局を主宰するまっとらんど内に設置し、毎年ピアノコンクールコンクールを開催しています。年々参加者のレベルも高くなりこれからのコンクールの発展が楽しみです。
見解によっては幅広い活動になっていますが、それぞれが自分の音楽活動の一部であり、どれもが現代日本社会において自分ができる音楽を土台にした大切な社会活動だと考えます。
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エッセイ『WEBSITE考察・・・静的or動的』 [『ぶん★文★ぶん』]

★まっとらんど★のサイトを公開し始めてすでに8年以上になるのだが、長い年月の間にいろいろと試行錯誤を繰り返した。
今の★まっとらんど★にたどり着くためにはいろいろな変貌を繰り返してきた。また、ちょうど一般にコンピューター、そしてインターネットが広まる時期に際と公開をスタートしたこともあり、コンピューターそのものの性能、そして人々が使用するブラウザのサイズなどもこの数年で大きく変化している。
際と製作者としてはその変化を追いかけながら、誰もが閲覧しやすくできるだけサクサクとサイト内を移動できるように作成することはもちろん、作成者自身も楽しみながら際と運営ができるように心がけることは必要である。
自分自身も興味を持ったり、やってみたいと思ったことはどんどんと★まっとらんど★の中に取り込んできたわけだが、今までに失敗だと思ったことも数少なくない。
たとえば、オルゴールのMIDIを作成し始めるきっかけになったのは、自分自身のサイトでどうしてもBGMを流したいと思ったからである。しかしながら音楽関係の仕事をしながら著作権などを無視することはできない。法律を犯してまでMIDIを流すことはやはりサイト運営者として間違えていると考えたので、自分自身でMIDIの作成をし始めたわけだ。
気が付くと作品の数も300ほどになっていた。
サイト内でMIDIをBGMとして流すことは当時の自分にと手はとても心地よいことであったが、、、ある日、自分がサイト更新のために各ページをチェックしていた際、トップページに戻るたびにMIDIがなり始める。それはとてつもなく邪魔なものになった。同じメロディーが繰り返し流れるわけで、作業をしているうちに苛立ちを感じだ。そこで、スピーカーをオフにして作業を進めることにした。快適に集中しながら作業が進んだ。
インターネットを楽しむ方たちにもひょっとしたら同じように感じられているのではないかとふと気が付いた。
そこで、BGMのあり方について自分自身、熟考し始めた。当時の一般的うーざーが使用していたPCではまだCPUも今ほどのレベルにはなく、サイト内にMIDIを組み込んでオートスタートにした場合、サイトを開き画像が多ければ表示するだけでも時間がかかったものだ。そこにMIDIが組み込まれていると、その読み込みにもかなりの時間がかかり、トップページが表示されかなりのタイムラグの後、MIDI[が流れ始めるというありさま。しかもループの設定によってはトップページを閲覧しているさなかに何度も繰り返されたらたまったものではない・・・。
そこでオートスタートを中止したとしても、サイト内のレイアウトに影響が出る場合も考えられる。
必ずしも誰もが自分と同じ環境でインターネットを楽しんでいるわけではないのだから・・・
自分はブラウザはIEをメインに使用しているが、カレンがマックユーザーということもあり、ほかの環境でWEBを閲覧する際にレイアウトのずれなどを若干注意する必要性を認識することができた。
それは自分のWEB作成にとって大きな変化をもたらした。
これらのことを総合的に思考し、BGMをサイトからはずした。当初はなんとなく寂しいような気がしたが、自分がコンテンツとしてオルゴール配信をしている関係上、MIDIが流れてしまうと閲覧者が作品を視聴する際に音の重複を避けることができた。
これも大きなメリットとなったのではないかと自分では考えている。
フォントサイズも同様なことが考えられる。
特別に勉強したわけではないが、ドンとのサイズをブラウザで変更した際、レイアウトが大きくずれてしまう。自分自身の加齢により実際は大きめのフォントサイズで確認したいところだが、やはりレイアウトを重視するとフォントサイズは固定することが望ましいと考えた。よって、★まっとらんど★ではフォントサイズを指定し、レイアウトのずれを回避している。
フラッシュやJAVAなどの優れたテクニックなどで動的サイト構築も不可能ではないし、その際都内のコンテンツによってはそれも重要なキーポイントになるかも知れない。しかしながら★まっとらんど★はピアニスト:福山 孝のオフィシャルサイトとして公開していることを考えると静的でありながらオーソドックスな形式を維持することも自分らしいのではないかと最近では思えるようになって来た。
前回の大きなレイアウト更新では左右のフレームから中央固定テーブルをおき、その中ですべてのコンテンツを閲覧できるように構築しなおすことに成功した。ブログまでテーブルの中に押し込むのはかなりてこずったが、最終的には何とか成功した。
これからもいろいろな変貌をし続けていくことになるであろう自分のサイトではあるが、現在のところ自分が目標にしていた静的でありながらもどこか動的である部分を維持し続けられることを念頭に置きながら以降のサイト構築に心がけたいといつも思っている。
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エッセイ『★カレン★のプロ根性』 [『ぶん★文★ぶん』]

福山 孝ピアノリサイタル2007with Karenでは本当にたくさんの出来事があった。
本日現在のところ、まだすべての演奏会を終えたわけではないのだが、一番きつかったのは長野、岐阜の連続講演。
★カレン★と自分は長野での本番前日より長野入りしたわけだが、その時点で、もうすでに★カレン★の体調には異変があった。
夜遅くに長野に到着した後、二人で遅めの夕食をいただいた。出された食事を一口口にしたのだが、その時点でもう一口の箸がのびなかった。どうも揚げ物の油がいまひとつだったようだ。
自分はあまり外ではトイレなどに出かけないほうなのだが、若干気分がwるくなりトイレに駆け込んだ。★カレン★が心配するほど長時間になってしまった。
早々にその店を出て、ホテルに戻り就寝。
しかしながら、朝早く目が覚めた自分ではあったが、★カレン★がなかなかおきられない。午後には楽屋入りし、夜には長野での本番である。★カレン★は夜中から宿泊先のホテルでベッドとトイレを何度も何度も行き来していたようである。そして、朝も起きられないでいる★カレン★。
今回の遠征は冠を「福山 孝ピアノリサイタル2007 with KLaren」といただいている。
★カレン★は当然、その責務を重たく感じている。そして、絶対に板に穴を明けられないという思いは誰よりも強かっただろう。午前中には熱もありそうな状態だった★カレン★。
自分は★カレン★を起こすこともなくできるだけ長時間寝かせてやろうと決断した。
しかしながら午後2時を回ると、そう思いつつも気持ちが焦る。
★カレン★自身もおきなくては・・と自分に渇をいれる。そして、風呂に入り準備をしようとする★カレン★。風呂から出た★カレン★は放心状態でベッドに座り込む。できればこのまま寝かせてあげたいと思いながらも、長野の多くのお客様が待ってくださっている。しかも★カレン★が長野で演奏会の板にたつのは初めてのこと。ボランティア遠征でつい数週間前には信州新町の小学校で演奏はしたものの、衣装を着けて我々のリサイタルとして舞台に立つのはこの地では初めてのこととなる。それだけに★カレン★も必死だったのだろう。もちろん、主人の★まっと★の舞台に穴をあけられないという責任感は想像をはるかに超えて★カレン★に乗りかかっていたのだと思われる。
たつのもやっとの状態の★カレン★はそれでも準備をし、ふらつきながらも楽屋入りをしたのは3時前。
とてもリハーサルをこなせるような状態ではない。自分としてもこれだけの稽古を積んできたのだから、舞台に立ちさえすれば何とか最後までもってくれるのではないかと★カレン★に甘えた気持ちが心の中を渦巻いた。

我々のリサイタルではお客さまを受付で尾で迎えし、本番を修了しても、ドアに立ちお見送りするのが常である。
会場15分前に★カレン★はヘアーをセットし、化粧を直してウェルカムドレスを身に着ける。それだけの作業であってもそのときの★カレン★にとってはとてもつらいことだっただろう。
そして、会場5分前には受付に二人で立った。
★カレン★は必死で笑顔を作る。
しかし、10分が限界だった。寒い地域の室内というのはとても暖かく温度が設定されている。かえってその暖かさが★カレン★の体調には良くなかったのかもしれない。★カレン★は楽屋に一人で戻り、その後分後に自分も楽屋に戻った。
★カレン★はいすに座り呆然としていた。本番まで後15分。今日はお休みしてもいいよっていって挙げられない自分がいた。いえない自分の立場もつらかった。ココでは何とか★カレン★にがんばってもらうしかないのだ。

そして本番が始まった。
事前にお客様から★カレン★のMCを・・というリクエストがあった。自分のソロを終えて★カレン★がいたに立つとお客様からの歓声が聞こえた。そして、連弾用にピアノの準備が進み、★カレン★のMCを入れた。
そのMCのおかげ★カレン★はお客様から大きな力をいただいたようだ。
★カレン★との連弾がスタートした。しかし、★カレン★の腕の戻りやタッチがいつもとはちがう。やっぱり駄目か・・・・不安が頭をよぎりながらの演奏となった。
呼吸は長年パートナーを組んでいるだけあって通常通りなのだが、演奏そのものや音をプロデュースするパワーが★カレン★から感じられない。
しかしながら楽曲が進むにつれて、★カレン★の演奏はどんどんと上向きになり、お客様がそれを支えてくださった。
終曲のラプソディー・イン・ブルーではどこにそのパワーが残されていたのかと思うほどの力強い演奏をし、音楽を奏でている★カレン★。
すばらしい演奏だったと思う。
打ち上げではあれだけ好きなビールさえも口をつけられず、食べることは穴にもできない状態だったが、それでも打ち上げも皆さんと一緒に参加し、ホテルに戻った瞬間、★カレン★はそのままベッドに倒れこんだ。
翌朝は早朝から岐阜に移動し、白川町での演奏会。長野を早朝に出発し、岐阜に向かった。通常、★まっと★が運転しているときでも★カレン★は助手席で寝ることはないのだが、今回は特別。おきていることができなかったのだろう・・・。
★カレン★にはゆっくり休んでほしかった。
しかし、★カレン★自身も自分に体力をつけるため何かを食さなくては・・という気持ちが合ったようで、サンドイッチをゆっくり少しずつ食した。
移動先の白川町に到着したときにはかなり顔色も良くなっていた。
そして、再び本番のステージへ。長野が最悪な体調だっただけに白川での★カレン★はとてつもなく元気に見えた。しかし、本番が始まって間もなく、演奏している★カレン★の咳が止まらない。
それでも★カレン★は舞台を降りることはしなかった。止まらない咳をしながらも最後まで舞台をしっかり努めた。気力以外の何者でもなかったのではないだろうか。
この夜、白川での打ち上げでは★カレン★は食事ものどを通るようになっていたし、ビールも少しだけではあったが飲むことができた。
一番つらかったのは本人だろう。不本意な演奏とは言わなくても必ずしもベストな状態ではなかった★カレン★。悔しい思いは相当なものだと思われる。
それだけに続く名古屋公演ではリベンジの気持ちも大きくなったことだろう。
名古屋での★カレン★はすばらしい演奏だった。
実は★カレン★の風邪を長野、岐阜とに公園立て続けに一緒に遠征をした★まっと★が頂戴してしまったようだ。名古屋での本番当日はかなりきついものがあった・・・しかし、★カレン★があれだけがんばったのだから、自分もなんとかココで踏ん張らねば・・・そう思うと少しずつパワーが出てきた。
名古屋公演は自分自身かなり満足のいく演奏ができたと思う。もちろん、★カレン★のサポートがあっての話だが、★カレン★の演奏がすばらしかったので、その勢いをもらったのだろう。
秋のシリーズは二人で支えあいながら後一本の札幌千秋楽を残すだけとなった。
自分の体調はまだ不完全ではあるが、札幌までには完全に回復させ、最高の演奏で千秋楽を締めくくりたいものだ。

それにしても★カレン★のプロ根性には参った。
天晴れである。
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